ジョブ・リッジウェイ
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1812〜15年
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ティー・カップ:H=55mm、D=86mm/ソーサー:D=139mm
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本品はジョブ・リッジウェイが会社を息子二人に譲ってJ.&W.リッジウェイ社となった1814年前後の時期に製造された、同社のロンドン・シェイプの初期作品である。 伊万里写し風の絵柄で、牡丹をアレンジした花に、金彩と緑色の細かい葉があしらわれている。また濃い染付による紺色で大きな葉文様が描かれ、圏線に縁どられた薄い染付による水色と金彩の草文様がリング状にデザインされている。このような濃淡の染付二色を用いた絵付けは、リッジウェイ社製品の絵柄にしばしば見受けられる(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.51上参照)。 白磁はボーンチャイナで、やや厚みのあるしっかりした造形と、表面にヒビがない滑らかな釉薬がリッジウェイ社の特徴である。 |
ジョン&ウィリアム・リッジウェイ
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1825〜30年
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ティー・カップ:H=47mm、D=93mm/ソーサー:D=147mm
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オールド・イングリッシュ・ハンドルが付いた緩やかなフルート造形のカップで、やや重いボーンチャイナで作られている。顔料としてペール・オレンジ(薄い橙色)と水色(薄い染付青)が用いられているが、この二色による絵付けは1810〜30年にかけてのリッジウェイ社の特徴の一つである(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.51上に同様の配色で製作された作品を掲載)。 染付で二本のS字と、水色の葉文様が交互に縁装飾を構成し、白地の部分には紫色の茎と緑色の葉のフェストゥーンで繋がった花文様が、ピンク色のグラデーションで描かれている。 カップ外側には、カップの内側に染付紺地の中にオレンジと金彩で描かれている花文様を応用したパターンが、金彩のみで仕上げられている。 「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」P.70下に、同社が製作した同じ形状のコーヒー・カップ&ソーサーを掲載してあるので、ご参照いただきたい。 |
ジョブ・リッジウェイ
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1808〜10年
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コーヒー・キャン:H=61mm、D=56mm/ソーサー:D=139mm
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薄手で軽いボーンチャイナに、厚みのある豪華な金彩と長閑な風景を画いたコーヒー・キャン&ソーサーで、創業間もないジョブ・リッジウェイ社が早くも達成していた、優れた製磁技術・加飾技術を窺い知ることができる作品である。 ハンドル下端部に二段階の瘤状のキックが入ったデザインは「リッジウェイ・ハンドル」と称されるほど、同社の製品を特徴づける造形である。しかし「リッジウェイ・ハンドル」は、1800年代初頭の磁器メーカーの多くで採用された形状であり、しかもその多くがいまだにどこの窯の作品なのかが特定されておらず、最も研究が難しいハンドル形状の一つとなっている。したがってこのデザインのハンドルだからといって、即座に「リッジウェイ製だ」と決め付けるのは誤りである。 ソーサーには山と川の雄大な自然風景の中に鄙びた小屋と石造りの建物が配され、川に渡された橋の上には、杖を持ち、犬を従えた人物が描かれている。カップにはアーチ状の門構えを持つ田舎の城館とそこに続く道が描かれている。カップ、ソーサーともに遠景の山並みは、空気遠近法を用いて紫色と水色で描かれている。 |
ジョン・リッジウェイ
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1855〜60年
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ティー・カップ:H=53mm、D=91mm/ソーサー:D=142mm
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本品はジョン・リッジウェイ社最末期の作品で、場合によっては次の経営体制であるベイツ、ブラウン−ウエストヘッド&ムーアの時代にかかっている可能性もある。 形状は同社が「フォウリージュ(葉飾り)・シェイプ」と呼んでいたもので、全体をレリーフ(エンボス)に立体造形されたアカンサスの葉が覆っているデザインであるところに由来する。しかし本品では、絵柄はこのアカンサス造形を無視して描かれている。 高台に高さがあるのは、ここに三本の横筋文様が立体造形してあるためであり、またハンドルには三つ葉のアイビーを二枚重ねた造形があしらわれている。 Cスクロールを中心に構成された金彩の図柄はロココ・リヴァイヴァル風で、ソーサー中央とカップ底には手描きの薔薇絵がある。 本品にはコーヒー・カップが伴っており、トリオのセットになっている。 |
ジョブ・リッジウェイ
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1808〜14年
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ティー・ボウル:H=52mm、D=86mm/ソーサー:D=138mm
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スタッフォードシャー地方のシェルトンで、1802年頃から陶器を焼き始めたジョブ・リッジウェイは、1808年に二人の息子、ジョンとウィリアムを株主・共同経営者に迎え、社名をジョブ・リッジウエイ&サンズとし、同年よりボーンチャイナの製造を開始した。1814年には社名が兄弟の連名となって、ジョン&ウィリアム・リッジウェイ(J.&W.リッジウェイ)と称した。工場はコウルドン・プレイスにあった。 リッジウェイ社のボーンチャイナはスポード社のそれと比肩してとらえられるが、初期の作品はややクリーム色がかった滑らかな釉薬の磁質で、スポード製品よりも若干厚みがある。ティーウエアではビュート・シェイプやロンドン・シェイプを中心とした作例が多く残っており、重心が低いどっしりとした造形が特徴である。 リッジウェイ社は絵付けも美しく、スポード・タイプの華やかな花絵や、豪華な伊万里アレンジ風の意匠に優れていた。金彩文様はスポードとはやや異なり、線が太く、かなりたっぷりした金がけの印象を持っている(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.51、p.70下参照)。 1830年に磁器事業と陶器事業を分割し、兄が磁器工場、弟が陶器工場をそれぞれ所有することとなった。磁器事業は1840〜50年代にかけて順調に発展し、王室御用達となって贅沢な食器類や花瓶類などを製造した。1851年のロンドン大万博以降は、他社同様に経営が苦しくなり、1856年にジョン・リッジウェイ、ベイツ&Co. となり、1859年にはリッジウェイ家が株を手放してベイツ、ブラウン−ウエストヘッド&ムーアとなった。 その後ベイツが株主から外れて、1862年よりブラウン−ウエストヘッド&ムーアとなり、1905年以降は社名を「コウルドン」とした。 陶器事業はウィリアム・リッジウェイ社(1830〜54)を本社とし、さらに細かく分社化され、リッジウェイ&エイヴィントン(1835〜60)、リッジウェイ&ロビー(1837〜39)、ウィリアム・リッジウェイ、サンズ&Co. (1841〜46)を加えた四社が経営された。 本品はリッジウェイ社最初期の、ジョブ・リッジウェイ&サンズと称していた時代の作品である。製作当時、ティー・ボウルという形式は時代遅れになっていたので、リッジウェイ製のこのようなティーウエアはほとんど作例がない。 絵付けはとても丁寧に施されており、緻密で乱れのない描線で細かい陰影や差し色が用いられている。絵柄はダンゴのようなピンク色の花(?)とスズランのような花(?)に、リング状のものを伴う帽子か花入れのようなデザインがあしらわれている。金彩では四種類の葉文様が次々に現れる。 このような意味不明の花柄的連続文様をバンド状にめぐらした装飾を「パリ・ボーダー」という。パリ窯業群で製作された筒形のキャン・シェイプの食器類などに、このようなボーダー飾りが盛んに描かれたことに由来する。絵柄は全く解釈不能な場合もあるので、深く考えなくてもよいと思われる。意味不明な図柄で済むために、しばしば適当でいい加減な絵付けの温床ともなった「パリ・ボーダー」だが、本品はそのような次元とは異なり、想像力をかきたてられる優れた絵付けと評価できる。 |