ウェッジウッド
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1878〜90年
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ティー・カップ:H=57mm、D=99mm/ソーサー:D=141mm
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鮮やかで強烈な配色に目を奪われる作品で、1878年にウェッジウッド社がボーンチャイナ生産を再開して間もなく製造されている。 朱赤の帯はプリントで、杉綾に似た細かい白抜き鋸歯文のボーダーを巡らし、漆芸のような黒の圏線で上下をはさんで引き締めている。この黒線のデサインは金彩のバンド部分にも用いられている。地文としては日本の柄に忠実な唐草文様のプリントが全体を埋め尽くし、緑色の盛り上がった艶のある手描きのエナメルで、細かい点が要所に加えられている。この「朱の唐草に緑の葉(本品では点になっている)」というのは、現代でも有田や九谷地方で作られている磁器作品に見受けられる伝統的図柄である。 主題となる文様は「笹竜胆(ささりんどう)」で、日本の家紋から採用されている。笹竜胆紋は笹に似た五枚の葉の上に、竜胆の花を三輪乗せるのが基本形で、本品の図柄ではこの約束事が写し取られている。また盛り上がった朱と水色のエナメルで手描きされた花も、梅に似てしまってはいるものの、五弁の花びらを持つ竜胆の様態を何とか保っているし、青の平坦なエナメルと金彩で描かれた五枚の葉の表現も、笹竜胆紋の雰囲気から逸脱していない。 色彩的には勘違いもあり、日本磁器からは程遠いが、「ジャポニスム、日本趣味」としては、この未消化な風情がかえって味わいを増しているという見方もできる。 |
ウェッジウッド
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1878〜90年 商標登録された通常のウェッジウッド社の窯印
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コーヒー・カップ:H=56mm、D=51mm/ソーサー:D=109mm
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ウェッジウッド社は、商品に人気がなく不採算となっていたボーンチャイナ事業から1829年に撤退し、その後四十九年間にわたってボーンチャイナをはじめとする磁器製品を作らなかった。その間に人は二世代も代わり、世の中の情勢も変化した。特に1870年に起きた普仏戦争を契機に、1870年代はミントン社が亡命フランス人アーティスト達を積極的に受け入れ、窯の作風をフランス風に変化させていた。こうした大陸趣味の英国製磁器作品は、1878年のパリ万博で高く評価された。 イギリス窯業界では1878年に大きな変化が起こっている。万博で成功したミントン社やロイヤル・ウースター社の後に続いて、ダービー・クラウン・ポーセリン社(創業は1876年、後にロイヤル・クラウン・ダービーと改称)のボーンチャイナ製品が1878年から販売され、同年ウェッジウッド社が半世紀ぶりにボーンチャイナの製造を再開した。ただしウェッジウッド社で始まった第二期のボーンチャイナ事業は、第一期(1812〜29年)の作品とは材質も絵柄も形状も異なるため、全く別の焼き物と考えるべきである。 本品は八角形の「オクタゴナル・シェイプ」のカップ&ソーサーで、コーヒー・カップは八角柱の形状をとるが、ティー・カップでは口縁にかけて逆台形状に開いている。 カップとソーサーともに八分割された区画に伊万里焼きをアレンジした図柄があしらわれており、黄色、水色、朱色、緑色、紺色を組み合わせてイラスト風の植物文様が描かれている。金彩もふんだんに使用され、中でも水色の色遣いが軽快感を生んでいる。 窯印はウェッジウッド社がボーンチャイナ製造を再開した直後に用いられた、焦げ茶色の「ポートランドの壷」マークである。1891年以降は法律により、窯印に“ENGLAND" の文字が加えられるため、この書き込みがない場合は1890年以前の製品と判断される。これはウェッジウッド社のみならず、英国の各窯業者に共通する決まりである。 本品と同一形状の作品が「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.56に掲載してあるので、ご参照いただきたい。 |
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