スティーヴンソン&ハンコック
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1861〜1900年 紫色の上エナメルで、王冠に交差する剣と三つの点、S、HとDのイニシャル
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ティー・カップ:H=57mm、D=88mm/ソーサー:D=137mm
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18世紀半ば以来続いた英国の伝統窯業者ダービー窯は、1811年からロバート・ブルーアが経営することになった。しかしブルーアの精神疾患により、1828年以降は経営責任者不在の状態が続き、製品の品質低下に加えて経営の代理を務めたジェイムズ・トマソンの失策が売り上げの低迷を招き、1848年にダービー窯は廃止された。 ダービー窯に勤めていた旧職人のうち、ウィリアム・ロッカー、サンプソン・ハンコック、サミュエル・シャープ、ジェイムズ・ヒル、サミュエル・フィアーン、ジョン・ヘンソンの六人は、ダービー市街のキング・ストリートに新たな工場を構え、旧ダービー窯のデザインを継承する作品を作った。この窯を通称「オールド・クラウン・ダービー」と呼ぶ。 発足時の社名は「ロッカー&Co. レイト・ブルーア(1849〜59)」で、1859年にロッカーが亡くなり、社名は「スティーヴンソン、シャープ&Co.(1859〜61)」に変わり、続いて「スティーヴンソン&ハンコック(1861〜66)」となった。この経営体制の時に、従来使用していた旧ダービー窯と同様の窯印からのデザイン変更を行い、交差するバトンを剣に変え、左右にスティーヴンソンとハンコックの頭文字をとって、SとHのイニシャルを付加した。 1866年にスティーヴンソンが亡くなると、会社はハンコックの単独経営となった。三十二年後の1898年にハンコックが亡くなり、彼の孫であるジェイムズ・ロビンソンに経営権が譲渡された。 20世紀になり、1935年に最後の株主ハワード・パジェットが、会社をロイヤル・クラウン・ダービー社に売却し、「オールド・クラウン・ダービー」は八十六年にわたる歴史に幕を閉じた。 本品は、イギリスでジョージ三世〜四世期に作られた磁器製品を復刻・コピーすることがブームとなった、1860〜70年代にかけて製造されたものとみられる。形状は「ロンドン・シェイプ」で、1810〜20年代に流行した「リージェント様式(ジョージ四世の摂政時代)」の造形であるが、絵柄・装飾はもっと古い「ジョージ三世様式」を模倣している。薔薇などの花絵を描き、余白を金線で埋めてゆくデザインは、ドイツ圏のフランケンタール窯と、同窯と密接な関係にあってフランケンタール窯の意匠を引き継いだニンフェンブルク窯を源流とするものである。 このデザインの食器や飾り壺などは、まずロンドンの磁器商人や絵付け専門工房によって輸入され、それを1770年代のチェルシー=ダービー窯(ロンドン)やダービー窯などが模造した。以来ダービー窯のパターンとなっていたものを、オールド・クラウン・ダービーが復刻製造したものである。 色絵は金彩の上にあるのではなく、金の線は色絵を避けて丁寧に書き詰めてある。カップ見込みとソーサー中央には、いずれも薔薇の蕾が描かれているのが面白い。素磁はボーンチャイナである。 同様にニンフェンブルク窯が、18世紀のこのデザインを後年復刻製造したカップ&ソーサーが、「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.166 に掲載してあるので、ご参照いただきたい。 |