ヘレンド
1865〜80年 刻印でウィーン窯を模した盾の窯印
ティー・カップ:H=52mm、D=101mm/ソーサー:D=150mm
 ハンガリー・タタ出身のユダヤ人、モーリツ・フィッシャー(フィシェル・モル)は、1826年に創業したヘレンド村の磁器工場が経営不振になったことを受け、1839年、経営者のヴィンツェ・シュティングルから窯の資産を買収した。フィッシャーは18世紀の東洋磁器、マイセン、ウィーン、セーヴルなどの古磁器をコピーする商法を開始し、ハンガリーの内国産業博覧会への出展を手始めに、1851年のロンドン大万博以降、パリやウィーンの万国博覧会に参加し、そのコピー・イミテイション技術の高さを披露して数々の賞に輝いた(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.178参照)。
 しかし1873年に開催されたウィーン万博の翌1874年にヘレンド窯は倒産し、フィッシャーは故郷タタへ逃亡した。窯の経営は息子に引き継がれたが、その後も負債は完済されず、会社は再建されないまま、十年後の1884年にはモーリツの息子であるサムエルをはじめ、フィッシャーの一族は窯から追放され、会社は国営化された。ただしこの経営難の間も、ヘレンド窯は依然として贋作を製造し、万博への出展を続けていた(→コラム9参照)。
 1878年のパリ万博に参加したヘレンド窯については、パリ万博評論集の中で「あなたの好きなマークなら何でも書き加えます」というのが売りであると書かれている。また翌1879年にフレデリック・リッチフィールドが残した手記では、サウス・ケンジントン・ミュージアム(現ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム)の複数のマネジャー達が、フィッシャー=ヘレンド窯が製造した贋作に騙され続けていることが暴露されている。さらにリッチフィールドは「他の(博物館の)人達も同様である」と断じている。
 一方、フィッシャーの贋作活動を擁護した論調もある。当時多くのコレクターから狡猾な贋作者と蔑まれていたフィッシャーに対し、カー&ビンズ・ウースターのリチャード・ウィリアム・ビンズは、1877年に出版した『ウースター市の窯業の世紀』の中で、「ヘレンドのモーリツ・フィッシャーは、ヨーロッパと東洋のほとんど全ての作品を、大変素晴らしい技術で贋造する。しかし彼の場合、その作品は彼のずる賢さによって人を騙したいという欲望を表すというよりは、陶工としての彼の技術を証明するものと信ずる」と記している。この記述に対してジェフリー・ゴッデンは「これは少し寛大すぎる見方かもしれない」と書いている(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.106参照)。
 ヘレンド窯は、1864年にハプスブルク家の出資で経営されていたウィーン窯が廃窯になると、その原型(モールド)の一部を譲り受け、旧ウィーン窯と全く同一の造形でコピー品の製造を開始した。ヘレンドではこれを「破損品の補充事業」と説明しているが、万博において華やかなイミテイション商法を繰り広げていたことは隠しようもない事実であり、「破損品の補充」などという善良な目的でウィーン窯の原型を使用していたのではない。このような「補充事業」に関して、さまざまな「逸話・出世譚・成功話」が伝えられているが、これらはヘレンド窯の箔付けのためにフィッシャーが捏造した、まことしやかな作り話である。現在こんな話を鵜呑みにしてまともに信じているのは、日本人と中東の石油成金くらいのもの、と言われている。
 ヘレンド窯は、1896年にイェネー・フィッシャー(オイゲン・フィッシャー。モーリツの孫)に買収され、20世紀前半になってもコピー・イミテイション商法を継続していたが、1948年に社会主義的体制に組み込まれて再び国有化された後は、贋造活動を行うことが一切ない優良企業となり、滑らかな白磁と精密な絵付けで現在まで発展を続けている。しかし19世紀後半から20世紀前半にかけての同社は、ウィーン窯の贋物をはじめとするコピー品によって我々の目を欺いた、最も悪辣な贋作者の筆頭に挙げられる窯だった。

 本品は底面にウィーン窯と全く同一の盾の窯印(1827〜64年までは刻印による盾のマークを使用)、1845年製を表す 「845」の数字、造型師ミヒャエル・ヴァイゼルガルトナーを表す数字「26」が刻まれているが、贋作である。ヴァイゼルガルトナーは1845年には在職していない。
 また朱色で絵付け師番号「59」が書き込まれているが、書き方の様式が真正ウィーン磁器に必要な「数字の記入法の約束事」から全く外れている上に、1845年には「59」は欠番である。
 その他、顔料の艶と発色や、金彩の色と描き方が、真正ウィーン窯とは全く違っている。何となくそれらしいのは窯印と刻印数字だけ、という状態である。つまり、19世紀当時は「素晴らしいコピー」だったヘレンド窯の贋作品も、情報が充実した今日の視点からすれば、「やや粗雑で出来が甘い模造品」と評価するのが妥当である。
 


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