ジェイムズ・ハドレイ&サンズ
|
1896〜1905年
|
コーヒー・カップ:H=50mm、D=68mm/ソーサー:D=128、123mm
|
ロイヤル・ウースター社の造型師であったジェイムズ・ハドレイは、1875年に独立系の職人として自前の工房を開いた。しかしロイヤル・ウースター社との縁故を切ることはできず、1894年までは全ての製品をロイヤル・ウースター社に買い取ってもらっていた。このため、ジェイムズ・ハドレイの独立から以後の十九年間は、ロイヤル・ウースター社の製造部門の一形態と見做したほうがよい。 1896年以降はジェイムズの三人の息子であるルイス、フランク、ハワードを入社させ、ハドレイ社のブランド名だけによる独自の販売を開始した。 ハドレイズ・ウースター社は、極めて高度で複雑な型抜き工程を難なくこなし、装飾的で優美な作品を多く製造した。飾り壺や花瓶の造型には特に優れていた。20世紀になり、ロイヤル・ウースター社が製作した高価な装飾磁器の中には、ハドレイズ・ウースター社の原デザインに基づく作品がたくさんある。 また絵付けの面でも腕のよい職人を揃え、孔雀に代表される鳥絵や、多色の薔薇絵など、ロイヤル・ウースター社の高級な色絵と信じられているデザインの多くが、ハドレイズ・ウースター社のオリジナルである。 1903年十二月にジェイムズ・ハドレイが亡くなると、彼の三人の息子達は約一年後の1905年一月に、ハドレイズ・ウースター社をロイヤル・ウースター社に吸収合併させることに合意した。しかしロイヤル・ウースター系の職人とハドレイ系の職人との折り合いは極めて悪く、職場の部屋を分離するしか仲違いの解決策がなかった。ロイヤル・ウースター社内にありながら分派状態だったハドレイ系の職人達は、ロイヤル・ウースター社の芸風に染まることなく、ハドレイズ・ウースター社の伝統的作風を守り続けた。旧ハドレイ系グループの製作指揮は、ルイス・ハドレイが担当した。これ以後20世紀前半のロイヤル・ウースター社には、ウォルター・パウエルなどを筆頭とする旧ハドレイ系の絵付け作品と、スティントン一族に代表される旧グレンジャー系の絵付け作品が混在することとなった。 ハドレイズ・ウースター社では、複雑で細密な造型表現のために、磁器素材に長石質のパリアン胎を用いることが多かった。本品も複雑な凹凸を伴うデザインで、材質はパリアン磁器である。可塑性に富み、粘りが強いパリアン胎は、薄いクリーム色を呈する磁器で、本来は磁器彫像用の素材として開発された。彫像では無彩色・無釉薬で仕上げることが多いが、これに着彩して焼成すると顔料が磁胎に沈み込み、滑らかで溶けたような風情の色合いとなる。 本品のソーサーは井戸部分が隆起したスタンド風で、緩やかな方形状のユニークなデザインになっている。カップも木瓜(もこう)状の大胆な四分割フルート造型で、装飾的なハンドルが取り付けられている。紺色の部分は単なる着色だけでなく、造型部分が全て立体的に盛り上がっている。金彩ではロココ風のCスクロール文様があしらわれている。 |