ドニュエル
1820〜1825年 褐色でのプリントで“Denuelle Rue de Crussol a Paris”の窯印
ティー・カップ:H=56mm、D=89mm/ソーサー:D=131mm
 クリストファー・ポッターはイギリス人で、硬質磁器窯業を経営するためフランスに渡った人物である。彼はフランス科学アカデミーの後援を取り付け、1789年に磁器・ファイアンス陶器・ガラスの製造・絵付けに関する七年間の特許権を取得しようとしたが、これは却下された。しかし翌1790年から、英国皇太子(後の国王ジョージ四世)の庇護を盾に、パリのクリュッソル通りに工場を取得して製磁事業を開始した。これを「英国皇太子の工場」と呼び、製品は「プリンス・オブ・ウェールズ・チャイナ」と称された。硬質磁器の原材料にはリモージュ産の土を使用した。
 ポッターは1792年に、故コンデ親王ブルボン公ルイ・アンリ旧所有の名高いシャンティーイ窯を買収し、ここでも硬質磁器を製造した。同年パリ・クリュッソル通り工場を拡充して資産価値を高めると、翌1793年の年明けにジャック・ベルナール・バランに工場を売却し、この人物を仲介として1794年にはエティエンヌ・ジャン・ルイ・ブランシェロンが事業を引き継いだ。その後1807年にはジョセフ・モーブレーに経営が代わり、1819年以降はドミニーク・ドニュエルとヴォー一族に買収された。
 ドニュエル経営下では高度な色絵付けと優れた装飾性で、貴族階級を魅了する作品を製造した。特に菊花状の細いロゼット文様を、多色で精巧に手描きするのが装飾の特徴で、地色には単色の他に、トロンプ・ルーイ(騙し絵)でリアルな鼈甲文様を描くなど、同時期のセーヴル窯とほぼ同等の品質を達成していた。また、磁器の把手やペディスタルなどの一部を敢えて無釉のビスケット状に残し、そこに金彩を施してブロンズに見せかける高度な技術も有しており、他のフランス磁器窯を脅かす存在になっていった。

 本品はポッター&ブランシェロン窯の経営権を獲得したドミニーク・ドニュエルが、1820年代に製造したエンパイア・シェイプの硬質磁器製カップ&ソーサーで、カップの膨らんだ胴と、一旦くびれてからラッパ状に開く口縁を備えた、典型的なネオ・クラシック様式の器型になっている。ハンドルの下端部とハイ・リングのループ末端部には、アカンサスのレリーフ造形があり、この部分には釉薬がなく、金属的な表現が用いられている。
 絵付けは金彩とプラチナ彩で、古典的なパルメット(椰子)文と渦巻き(唐草)文、連珠文が施され、ソーサー中央とカップ見込みの蛇の目文の中には、チェイシング(磨き金彩文様)でロータス(蓮)文が描かれている。
 

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