ピエール=ルイ・ダゴティ
1805〜15年 赤褐色のプリントでManufacture S.M.L'Imperatrice P.L.DAGOTY a paris の窯印
コーヒー・カップ:H=64mm、D=64mm/ソーサーD=124mm
 ピエール=ルイ・ダゴティ窯は、ナスト・フレール窯やダルテ・フレール窯と並ぶ、19世紀初頭ナポレオン時代におけるパリ窯業群屈指の名窯である。
 ピエール=ルイ・ダゴティ(1771~1840)の祖父はジャック=ファビアン・ゴーティエ・ダゴティ(1710~81)である。ゴーティエ・ダゴティと言えば、パリで出版された人体解剖図によって知られる自然科学者で、画家・銅版彫刻師でもあった。ただしこの書籍は、医学的には正確な人体の内部構造を示しながらも、その画風や構図は猟奇的なエロ・グロの興味をそそる扇情的なものであり、出版の意図としては純粋な解剖図ではなく、あきらかに倒錯的博物収集癖者・ヴンダーカンマー達の関心を惹こうとする目的がうかがえる。
 ゴーティエ・ダゴティの息子ジャン=バティスト=アンドレ・ダゴティ(1740~86)は銅版彫刻師であったが早世し、あとには三人の息子が残された。このとき長男ピエール=ルイは十五歳、次男エティエンヌ=ジャン=バティストは十四歳で、いずれも磁器絵付師として「アングレーム公爵の工房」と呼ばれたディール&ゲラール窯に奉職し、そこから得られる給金を父亡き後の糊口を凌ぐ糧としていた。三男イシドアは1800年に若死にしている。
 後にピエール=ルイとエティエンヌ=ジャン=バティスト兄弟は独立して、絵付け専門の工房をブルヴァール・デジタリアンに開いた。やがてモンパルナス郊外のシェヴルーズ通り1586番地にあったロジェ&ブーゴンの旧工場(操業は1795~97年)を、1800年四月から九年間のリース契約で借り受け、ここを拡張して各設備を充実させた。また販売店をブルヴァール・モンマルトルに開設した。
 1804年にエティエンヌ=ジャン=バティストが亡くなると、彼の息子はダゴティ窯に関する所有権等を譲渡したため、同年八月以降はピエール=ルイが単独で窯のオーナーとなった。工場の技術監督はロベール・レヴィであった。しかし同1804年にナポレオンがフランス皇帝に就任すると、間もなくダゴティ窯は販売不振に喘ぐようになった。ダゴティ窯の主な販路はモスクワとサンクト・ペテルスブルクに代表されるロシア圏であったため、ナポレオン戦争の影響から売上は急減し、8万フランもの借り入れ金の返済に苦しんだ。1807年五月には工場のリース契約を更に九年間延長し、約百名在籍した工場労働者を1810年にかけて半数近くにまで減員した結果、次第に財政状況は好転したが、リース料金の支払いに窮するほど悪化していた収支バランスを打開するには至らなかった。ナポレオンの帝妃ジョゼフィーヌは、既にダゴティ窯を庇護下に入れ、ヴェルサイユ宮殿やコンピエーニュ城においてダゴティ窯の作品を買い上げていたが、それらも根本的な経営状態の改善には繋がらなかった。
 そこでピエール=ルイは1816年一月一日から1820年にかけての四年間、パリの有力窯業者であったフランソワ=モリス・オノレの長男エドゥアールと資本提携を行った。この結果、ダゴティ窯のシェヴルーズ工場は提携解消後にオノレ窯の経営となり、もともとオノレ窯の資産だったリモージュ近郊のカオリン産地サン・ティリエ(サン・ティアイエックス)にあった工場をダゴティ窯が取得した。ピエール=ルイはこの工場を三年間保持した後、1823年にこれをドミニーク・ドニュエルへ売却した。

 ダゴティ窯の作風は、威厳を孕んだ重厚な器型、鋭いモールディングによる立体的な表現、大胆で奇矯なデザインにより、他窯の群を抜く特異な存在感を放つ作品を製造した。またマット・ブルー地や、「金の中国人図」の地色に用いた擬朱漆の赤色などは、度重なる焼成実験を繰り返した末、非常に苦労して獲得した、ダゴティ窯独自の顔料である。
 ダゴティ窯は彫像や立体造形作品ばかりでなく、食器の意匠においても卓越したデザイン力を示しており、カップでは「ハート・ハンドル付きのダゴティ・シェイプ」と呼ばれる秀作を残している(本HPのナントガーウのページ、「ヨーロッパ アンティークカップ銘鑑」p.69上、下参照)。ほかにもトカゲなどの爬虫類をリアルに再現したハンドル付きのカップをはじめ、多くの模造品、類似品、贋作品を生んだ「珊瑚のハンドル付き貝殻型のカップ」など、衝撃的なデザインが特徴の一つとなっている。

 本品は、「貝殻型のカップ」と並んでダゴティ窯製品で最もよく知られ、人気が高い「白鳥のティー&コーヒー・セット」のカップ&ソーサーである。掲載した物はコーヒー・カップで、ティー・カップの場合はカップがよりリアルな白鳥の体型をしており、それに伴ってティー・カップ用のソーサーは楕円形に造られている。
 カップの白鳥の羽とソーサー周囲は、造形をよりくっきりと見せるために無釉のビスクのまま残され、カップとソーサーの底面(裏面)には釉薬が施されている。ハンドルを構成する白鳥の頭と首、カップの白鳥胴体腹部と尾羽部分には金彩が施され、カップ内側とソーサーの金彩は丁寧に磨かれて鏡面仕上げになっている。
 高く持ち上がった白鳥の太い首と顔の表情の男性的で力強い作り込み、繊細で念入りな羽毛の表現、贅沢な金彩と清潔なビスクのコントラストなど、まさにダゴティ窯の芸術的エッセンスがこのカップ&ソーサーに凝縮されている。

 ただし、「ダゴティ窯製・白鳥のカップ」として展示されたり、雑誌・書籍・インターネット等に掲載されているもののほとんどは、残念ながら贋作品である。なかでもパリのサンソン・ザ・イミテイターが大量のコピー品を作り、他に南ドイツやボヘミア、ハンガリーなどでも悪質なコピー品が量産され、現代では中国が今もなお模造品を供給している。茶褐色でデカデカと「P.L.DAGOTY a paris」などというプリントの窯印が底面に記入されている物の大半は偽物である。
 また本品より金彩の使用が少なく、全体に白が勝った外観の作品や、ソーサーの縁飾りの幅が太く図柄が大きい物などは、質の悪い安手の贋作である。使用する金彩が少ないので、おそらくソーサーを豪華に見せかけようとしたための造作が裏目に出たということだろう。
 贋作品は金彩でもわかる。たとえたっぷりした金彩が乗っていたとしても、中国製などの偽物に塗られた金は硬く、どこにも瑕疵がないネットリとした分厚いラッカー塗料的な金彩が完璧に施されている。ところが本物のダゴティ窯製品の金彩には、かなりの古色(パチナ)がある。金はネットリしておらず、金箔張りのパリっとした薄い質感に近い。また金が柔らかいので、表面には微細な傷が入り、これが古色となっている。
 贋作の白鳥は顔の表情も間抜けである。ダゴティ窯の白鳥の眼差しは厳しく鋭い。本物だけが備える品格をよく見知っておき、コピー品に惑わされることのないように気をつけていただきたい。
 

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