ロッキンガム
1826〜30年 朱色でグリフォンとRockingham Works Brameldの窯印
ティー・カップ:H=55mm、D=100mm/ソーサー:D=150mm
 濃いワイン色の地色に、白抜きで花絵が描かれている。1830年代になると、イギリス磁器の花絵は複数がまとまった花束描きが減り、一輪描きが非常に多くなる。本品にはそれぞれ異なる小さな副花を伴った薔薇やアネモネが、一輪ずつパネル内に描き込まれている。
 白抜きのパネルには大小あり、大きい方の枠装飾は連続Cと葉文様、小さい方は小花の連花と巻き貝の枠飾りが金彩で描かれている。巻き貝の図柄は19世紀前半の磁器装飾に好んで用いられたモティーフで、1830年代には副次的なデザインとして枠や図柄文様の中に取り込まれるようになった。カップ見込みとソーサー中央周囲には、三角形の連続による鋸歯文様がめぐらされている。
 形状は、緩やかな縦フルート装飾の隆起を作ったシェイプで、オールド・イングリッシュ・ハンドルが取り付けられている。ロッキンガム窯製のオールド・イングリッシュ・ハンドルは、ハンドルの親指掛け部分の内端がカップ口縁部に接合しているのが特徴である。つまりハンドルはカップ本体と三か所で接着していることになる(『アンティーク・カップ銘鑑』p.225参照)。
 






ロッキンガム
1826〜30年
ティー・カップ:H=60mm、D=92mm/ソーサー:D=146mm
 ロッキンガム窯の最初期に製作された作品で、絵付けはピンクとグリーン地に金彩の瓔珞的な垂下文様が施されている。一見簡素な仕上げに見えるが、これこそが当時流行の「地色一〜二色に金彩で図柄」というフランス由来・ロンドン好みの作風であった。形状は「アンピール(エンパイア)様式」というネオ・クラシックの流れに直結する「エトラスカン・シェイプ」で、ハンドルは「数字の7」型もしくは「アンギュラー(三角)型」と呼ばれる。このシェイプとこのハンドルは密接に結び付いたもので、他窯においても同様の作例が多く製作された。
 このハンドルは特別に太くて力強い造形をしているが、これはフランスの影響を受けたもので、またハンドル上に金彩で、紐か縄をかけたような×印が連続してあしらわれているが、これもフランス発祥のハンドル装飾である。
 素磁はボーンチャイナで、クリーム色がかって見えるのは釉薬の経年変化によるものである。
 エトラスカン・シェイプについては「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.54、「アンティーク・カップ&ソウサー」p.57にも記述があるのでご参照いただきたい。
 





ロッキンガム
1840〜42年 赤紫色でグリフィンの窯印
ティー・カップ:H=55mm、D=105mm/ソーサー:D=138mm
 ロッキンガム窯は地元の窯場産業として、1745年頃からヨークシャー州のスウィントンにあり、創業から1826年まで八十年余りの長きにわたって、陶製の素朴な製品を作っていた(スウィントン・ポタリー)。開窯から二十年間は職人を雇わない個人窯としてアーザンウエアを焼き、その後更に二十年ほど塩釉陶器やクリームウエアといった民用雑器を製造した。
 1785年に、従来タイプの陶器製造の補助的事業として、新しく鉛釉陶器の製造に乗り出した。この時の鉛鉱山のリース期間は二十一年間の契約で、これが満了する1806年には、鉛釉陶器は他の有力陶窯との厳しいシェア争いに敗れ、売れ行きは伸び悩んで会社にはリース延長の資金もない状態となっていた。
 そこで、スウィントン・ポタリーで職工としてキャリアを始め、その後経営者の一人となっていたジョン・ブラメルドは、スウィントンの領主であったロッキンガム伯爵フィッツウィリアム・ウエントワース(ロッキンガム侯爵の甥)に対して、窯への財政支援を要請した。それまで英国では大陸と異なり、単独の貴族の全面的出資によって経営された陶器窯、磁器窯は共になく、ロッキンガム伯の巨額の援助による庇護は、英国窯業史に先例のない出来事であった。
 しかしロッキンガム伯爵からの資金でブラメルド家が救われたのは一時的な現象に過ぎず、会社の事業の方は一向に発展してゆかなかった。ジョン・ブラメルドには既に莫大な借金があり、しかもそれらは極めて高利の契約がなされていたのである。したがってロッキンガム窯は、その後も会社の運転資金に回す蓄えができなかったということになる。
 このような中、ジョン・ブラメルドは1810年に、長男ウィリアムと次男トーマスの二人を経営者として窯に迎えた。しかしウィリアムは株主代表就任と同年の1810年に亡くなり、父ジョンも1819年に亡くなった。会社に一人残されたトーマス・ブラメルドは、海外商取引に熱を上げていた弟ジョージと、ロンドンで窯の取引の代理人を勤めていた弟ジョンを経営に引き入れた。しかしそれから六年間のうちに、この三兄弟は本業の製陶を疎かにして、海外(先物)取引による一発大逆転に賭けた結果、思惑に反して投機相場に失敗し、経営再建と億万長者への夢は脆くも崩れ去った。会社の借金は二万二千ポンドにも及んだといわれ、これらは全く回収不能となってしまった。
 スウィントン・ポタリーの製品の質は当時からまずまずの評価を得ていた。資金源である伯爵家の資産状況は盤石で、多様な種類の焼き物と造形の豊富な製造ラインを持ち、八十年の貴重な製陶経験も有していた。にもかかわらず、父ジョンの死から六年を経た1825年、会社は倒産の危機に瀕した。全ては海外投機の失敗が原因である。
 ロッキンガム伯爵フィッツウィリアムは、ブラメルド家に対して海外取引の禁止と、伯爵家以外の高利貸しからの借金の禁止を条件に、再度巨額の資金を融通した。この資金をもとに会社を再編成したトーマス・ブラメルドは、英国窯業界の主力産業となっていた磁器製造を、翌1826年1月から陶器製造と平行して試みることにした。彼はロッキンガム伯爵のウエントワース家の紋章から採った、獅子に似た有翼の霊獣「グリフィン」の図柄(アーモリアル、あるいはクレスト)を拝領し、ここに英国初の貴族の名前を冠した窯「ロッキンガム・ワークス」が成立したのである。
 トーマスは、地元ヨークシャーやロンドンに小売り店を出し、流行の先端をゆく優美で高貴な貴族趣味の製品を作った。始めのうちは富裕層の顧客しか狙わなかったと見られる。間もなくロッキンガム窯の噂は国王ジョージ四世の耳にも達し、1830年にモーニング(ブレックファスト)・サーヴィス一式を王室が買い上げることになった。すると他の貴族達も争ってロッキンガム窯に注文を出し、豪華な製品の出荷ラッシュが続き、経営は絶頂を迎えたかに見えた。
 しかしここでトーマスは目算違いをする。貴族向けのハイコストな製品の価格計算が大幅に狂っており、到底仕上げられるはずのない安値を付けて、原価割れで販売してしまったのである。トーマスの安易な見積りによる計算方式のために、作れば作るほど赤字を生んだ貴族向け磁器製品のおかげで、相次ぐ注文の嵐にも拘らず、翌1831年にロッキンガム窯はあっけなく赤字に転落した。陶器や量産品をいくら売り捌いても、赤字の解消には繋がらなかったと見られる。伯爵家では更に追加融資をしたが、結局この時の借金は最後まで残ってしまった。
 鷹揚な伯爵も遂に堪忍袋の緒が切れたとみえ、1842年11月末にはロッキンガム窯から全資産を引き上げ、ロッキンガム・ワークスは製磁事業十六年十一ヶ月間の短い幕を閉じた。窯の在庫は競売にかけ、ブラメルド家の全財産を(竈の灰まで)没収して、借金返済の埋め合わせとさせた。
 着のみ着のまま、すっからかんの無一文となったトーマス・ブラメルドは、水車屋の親父にさせられた。かつての工場跡地に建っていた、陶土を捏ねる杵搗き水車を動かし、トーマスは1850年に亡くなるまで、そこで働かされたという。
 水車小屋というのは、そもそも人が住む場所ではない。我々にはシューベルトの「美しき水車屋の娘」という歌曲集のイメージがあるため、何やらロマンチックな風情に感じられるかもしれないが、水車小屋は最も貧しい人が住む、いわば掘っ建て小屋である。家畜小屋よりはましだといっても、一日中川の水音がして湿気が多く、水車を止めない限りは杵を搗く響きが鳴り止まない。そんな環境で懲罰的な晩年を送らされたトーマス・ブラメルドの、成功したと同時に赤字となり、高級品が飛ぶように売れたばっかりに借金を背負った皮肉な生涯の有為転変を思う時、「浮世」は「憂き世」、げにままならぬ人生の有様を見せつけられた思いがする。(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.74上参照)

 本品はロッキンガム窯終焉期の作品である。1840年から閉窯の1842年までの短期間、ロッキンガム窯のパターン・ナンバーは、ティーウエアでは分数表示が用いられたということが判っている(分母は150まで、分子は2)。本品のパターン・ナンバーは2/99である。
 分割されたグレー地と金彩による文様に、赤紫色で葡萄の図が描かれている。
 カップとソーサーにはロココ風のCスクロールが僅かな隆起で立体造形されており、図柄もそれに合わせて描かれている。ハンドルは三つの突起を伴う独特のものである。白磁がクリーム色がかって見えるのは茶渋による変色ではなく、この窯の製品によく見られる特徴的な黄変で、経年変化によるものである。
 ロッキンガム窯の製品は、「アンティーク・カップ&ソウサー」p.73、「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.304にも掲載してあるので、ご参照いただきたい。
 

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