ドッチア
1745〜65年
コーヒー・カップ:H=71mm、D=66mm
 フィレンツェ郊外にあるドッチアを領有していたカルロ・ジノリ侯爵は、マイセン様式に倣った真正硬質磁器窯を設立するために、ウィーン窯から絵付け師・彫刻家で製磁最終奥義修得者(錬金術師になぞらえて「アルカニスト」と称する)との説もあるヨーハン・カール・ヴェンデリン・アンライター・フォン・ツィルンフェルトを招聘した。ツィルンフェルト自身は何らかの磁器組成成分に関する知識を有していたようであるし、同じくウィーン窯から磁土配合師で焼成親方だったゲオルク・デッラ・トーレ(独伊混合名)を伴って来たため、ドッチア窯では1738年に製磁工場の設立と焼成窯の稼働を始め、ヴェネーツィア産の土を用いて磁器焼成を成し遂げた(第一期ドッチア窯)。
 ツィルンフェルトは「造型、芸術性、美質において、彼に匹敵する技能を持った職人はヨーロッパにはいない」という賛辞を受けた天才であったが、1747年、バイエルン選帝侯国のノイデック窯(後のニンフェンブルク窯)における真正硬質磁器焼成実験を達成する目的のために招かれ、ウィーンからミュンヘンに向けて出発する直前に、製磁秘法の漏洩を妨害しようとする帝立ウィーン窯(1744年より第二期マーリア・テレージア時代)が放った刺客により謀殺されてしまった。
 第一期ドッチア窯ではマイセン窯やウィーン窯から呼び寄せた職人達がもたらした様式の影響で、当初は中国風の造型デザインや図柄が多く、また当然ながらマイセン窯風、ウィーン窯風の作品が製作されていた。しかしほどなくしてこれらの影響力は薄れ、イタリア出身のモデラーであるアントーニオ・スメラルディやカルロ・リストリ、ジョヴァンニ・ジュスティらが後期バロック風の造型を新たに採り入れ始めた。
 1758年にカルロ・ジノリ侯が亡くなって、息子のロレンツォが家督を継ぐと、ミニアチュール精密画の名手ジョヴァンニ・バッティスタ・ファンチウラッチや、フィレンツェ出身で絵付け師と造型師を兼ねたアンジェロ・フィアスキ、キャスパロ・ブルスキ、ジュゼッペ・ブルスキら有能な芸術家達がロココ風の作品を造るようになった(第二期ドッチア窯)。

 本品はドッチア窯第一期の後半から第二期初頭にかけて製作されたコーヒー・カップで、中国磁器を写したフランスのシャンティーイ窯の影響を受けた二羽の赤い鶏と柳の立木が描かれており、中国磁器やシャンティーイ窯製品にほとんど同じデザインの作品が存在する。ただし中国製品やシャンティーイ窯製品においては、二羽の鶏の嘴の間にドッチア窯製品では省略されている餌皿が描かれており、これが皿の穀物をついばみに来た家禽の姿が原題であることが示されている。ドッチア窯ではこの意匠を「ア・ガッリ・ロッシ(赤いニワトリ)」と呼び、現代でもリチャード・ジノリ社が「レッド・カクテイル」と称して販売している伝統的な図柄である。
 この文様はデュ・パキエ期ウィーン窯で使用された鶏血赤の顔料を用いて、赤一色で描かれるのが一般的だが、本品では柿右衛門窯の鶉文を模してマイセン窯で描かれた赤・青の双鶉文の影響から、酸化コバルト顔料による染付青と上絵の赤で鶏を描き分けるという珍しい作例になっている。
 また柳はデフォルメされて模式的な態様に変じられており、樹の下には太湖石が描かれている。染付は滲みが少ない繊細な描線で仕上げられている。
 ハンドルは外側にスパー(突起)を持つ独特のスタイルで、染付と金彩で装飾されている。
 釉薬は青みを帯びた灰色で、艶のある滑らかな表面となっている。

 本品と同じ「赤い双鶏」が絵付けされたドッチア窯製のティー・ボウルを「アンティーク・カップ&ソウサー」p.28に掲載してあるので、ご参照いただきたい。
 






 
ドッチア
1790〜1800年
コーヒー・カップ:H=73mm、D=69mm/ソーサー:D=131mm
 本品はドッチア窯の創設者カルロ・ジノリ侯爵の長男ロレンツォの時代(1758〜91)の末期から、カルロ・レオポルドの時代(1792〜1837)の最初期にかけて製造された、硬質磁器のカップ&ソーサーである。
 色絵は緑・青・黄・赤褐色を用いて、抑えた色調で田舎の風景が描かれている。カップには近景に大きく立派な館と、遠景に棟が連なった広い屋敷が描かれている。ソーサーにはよく似た建築形態の館が遠近で二軒描かれている。とりわけソーサーはウィーン・チューリヒ風の画面構成で、エッチング銅版画を強く意識したデザイン感覚がうかがえる。
 

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