フイエ
1815〜25年 セーヴル窯製白磁に金彩で Feuillet の窯印
ティー・カップ:H=52mm、D=103mm/ソーサー:D=145mm
 フイエはパリのラ・ペ通り18番地にあった上絵付け工房で、パリにひしめいていた磁器絵付け工房の中にあって、ブルボン公爵家などの複数の有力な保護者を得て指導的役割を果たした。フイエとは経営者の姓であるが、名前が何だったのかは研究の途上である。
 ド・ギユボンの名著「パリ・ポーセリン」と、それにならったダンケルト著の「ディレクトリ・オブ・ヨーロピアン・ポーセリン」によれば、フイエの創業は1820年頃とされているが、実際にはもっと古い。1820年5月にロンドンのオークションハウス、フィリップスにおいて開催されたサン・カルロス公爵家の財産売り立てで、公爵家が既に保有していたフイエ工房絵付けのデザート・サーヴィスが出品されているからだ。フイエ工房が1820年頃の設立だとすると、このオークションの開催年月との整合性がなくなる。結果としてフイエ工房は、18世紀末か少なくとも19世紀初頭には既に製作活動を行っていたと考えるのが妥当である。
 デザート・サーヴィスとは、ディナーが終わった後、さらに別室に場所を替えて果物や菓子などの甘い物を食べる際に用いる食器セットで、その家が持つ食器の中でも最も豪華な絵付けが施されていた。このデザート・サーヴィスのオークション結果は、385ギニーでデヴォン伯コートネイ卿の落札となっている。1820年当時の1ギニー金貨を現在の貨幣価値に換算すると20万円以上だったとも言われるので、このデザート・サーヴィスは約7700万円以上で落札されたことになる。
 18世紀末〜19世紀初頭にかけて、貴族階級の要求に応えるに足る高度な装飾を誇ったフイエ工房の本体は、1834年に同じくパリの磁器絵付け業者ヴィクトル・ボワイエと業務提携し、窯印にはしばらくフイエとボワイエの両方が使用されたが、ほどなくボワイエに統一された。その後事業はジャック&ボワイエ名義を経て、19世紀後半にはポール・ブロ&エベールに継承された。
 一方「フイエ」という名称は、提携合併と同じ1834年以降、やはり磁器絵付け師だった彼の甥が本体とは別の組織として使用したが、その工房は十二年後の1846年にイッポリト・マノリに売却された。マノリはセーヴル・スタイルのコピー磁器を製造することを主な生業とし、セーヴル窯を完全に模した交差するLLのモノグラムの中に「F」を記入した窯印を使用した。したがってフイエ工房の事業はポール・ブロ&エベールとして20世紀初頭頃まで続いたが、甥の事業に引き継がれた「フイエ」の名称は、1846年に途絶えてしまった。
 19世紀前半のフイエ工房が施した絵付けは高品質で、その水準はセーヴル窯とほとんど同じであり、パリ窯業群の中では筆頭クラスの技術力を持っていた。白磁は有力他窯から提供され、主にセーヴル窯やダルテ・ブラザーズ(ダルテ・フレール)から無彩色白磁を購入して作品を製造した。つまりセーヴル窯製の真正白磁にフイエ工房絵付けの作品が残っており、その多くが磁器絵付けの最高品質を示している。

 本品は碗型の平たいシェイプに低いペディスタルを付け、ハイ・ループ・ハンドルをあしらったカップと、ずれ止めのウェル(井戸)がない深型のソーサーの組み合わせで、白磁の供給元はセーヴル窯である。
 全体に酸化コバルト顔料による紺色のブリュ・ロワイヤル地が施され、カップに二カ所、ソーサーに三カ所、白抜きでカルトゥーシュ(長楕円形に類する枠の形をこのように称する)のパネルが設けられている。このブリュ・ロワイヤル地はソーサーの裏側にまで及んでいる。
 ソーサー中央には円形白抜きのリザーヴ・メダルがあり、パンジーと朝顔が描かれている。パンジーには左上に花の裏側を描いた一輪が見え、朝顔では蔓、蕾、三葉状の葉も表現されている。
 カップの内側には横一列に並べた花が描かれ、薔薇、アネモネ、撫子、パンジー、チューリップ、朝顔、水仙、マーガレットなど、十二種類の花が一周している。
 カップとソーサー合わせて五カ所のパネル内には、前述の花類のほかに、矢車菊やダリア、ポピーなども見られ、このカップ&ソーサーに描かれた花の種類は、全部で二十種類を超える。
 パネル周囲に施されたロココ風の金彩は、全て盛り上がった仕上がりになっており、その上からチェイシング(金彩磨き)による細い線描で、花や葉に丁寧な陰影が与えられている。この金彩技術と枠装飾のデザインは、18世紀後半のヴァンサンヌ窯や、その移転先であるセーヴル窯で用いられていたスタイルを模倣している。ソーサーの裏にも金彩装飾があり、オリーブの葉の圏帯が高台の外側をぐるりと取り巻いている。この圏帯にチェイシング仕上げはない。
 花絵の精緻な筆遣いと厳密な構図、絶妙のグラデーションによる彩色で表現された立体感、くすんだ中間色の多用(特にカップ内側の花綱)によるリアリズムは、単に華やかだというだけではなく、パリ随一と称えられたフイエ工房による加飾ならではの品格を感じさせる。
 なおフイエの後身にして一心同体でもある、合併相手のヴィクトル・ボワイエ名義による絵付けが「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.211に掲載してあるのでご参照いただきたい。書籍採録品はタイトルこそ「ボワイエ」であるが、まさにフイエ工房の伝統による巧みな絵付けと言ってよい。
 

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