ジャン・マルク・クラウス(と考えられる)
1880〜1900年 染付で第一期ウースター窯を模した四角型の窯印
ティー・カップ:H=47mm、D=80mm/ソーサー:D=127mm
 ジャン・マルク・クラウスは1822年から独立系絵師として絵付け専門工房を経営していたが、1829年、「ラ・クールティーユ」と呼ばれてパリ・フォンテーヌ・オー・ロワ通りにあった磁器会社の系列工場を買い取った。所在地はド・ラ・ピエール・レヴェ通りである。この工場は1784年にルイ十六世から絵付け・金彩の勅許を得た伝統窯だったが、在庫の九割は販売禁止で一割分しか現金化できないとする、フランス政府による厳しい磁器販売量制限のために経営が破綻し、単独の経営者であったラウレンティウス・ルシンガー(元ヘクスト窯の主任造形師)は、リモージュのカオリン採掘業者であったフランソワ・プーヤへの材土仕入れ代金未払い分の代償として、1800年に株式の一部を譲渡して経営に参加させ、1808年からは息子のジャン・プーヤ単独経営の工場となった(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.32、85参照)。
 クラウスはこの工場で、ヨーロッパ大陸の市場向けにはマイセン・スタイルの贋作を作り、英国の市場向けにはウィリアム・ビリングズレイ・スタイルのスウォンジー窯、ナントガーウ窯の贋作や、ウースター第一期(ドクター・ウォール期)のスタイルによる贋作を製造した。
 パリにはこの他にも、セーヴル、メヌスィー、シャンティーイ、ストラスブール、ニーデルヴィエ製品の贋造をしたり、ドイツ圏のヘクスト、フランケンタール、ルートヴィヒスブルク製品を模造する窯業者が多かった。またイギリス製品ではチェルシーとダービーを筆頭に、ウースターの初期磁器などが大量に贋造された。プリマスやロウストフト、あるいは中国磁器を専門にコピーする工場もあった。
 こうした贋作磁器は、大概は十把一からげに「サンソン(英語読みは「サムソン」)」と表記され、またそのように信じられている。しかし全盛期のサンソン製贋作磁器は本物と見分けがつかないほどのトップ・クオリティーで製作され、博物館の専門家の目をも欺き、結果として世界中に「黒い博物館」を形成する要因となっているほど、真贋の判別が難しい。
 1971年にクリスティーズのオークションがサンソン特集の売り立てを行って以降、そのカタログの写真版が参考文献となり、「サンソン」とされる多くの作品が世界中のオークションにかけられてきたが、今日ではその中の少なからぬ数が、サンソン製ではなかったと考えられている。サンソン、特に初代のエドメ・サンソンと二代目エミール・サンソンが作った贋作は、現在もなお判別できずに「本物」として市場に流通するか、「本物」として博物館にある。よくよく見れば本物でないと判る程度の贋作は、全盛期サンソン社の製品ではないということになる。
 本品も様々な部分でウースターの真作との違いが容易に判別できる。サンソン社はこのような安直な贋作は作らない。
 ボヘミアのエルンスト・ヴァーリスが作った「ウィーン」の色絵は、本家ウィーン窯より豪華絢爛であり、エドメ・サンソンが作った「セーヴル」は本家セーヴル窯より精緻華麗である。品質の高さを僅かに裏切るのは白磁の品格と金彩の筆使いだといえる。実際に筆者が所蔵するヴァーリス作の「ウィーン」やサンソン作のや「セーヴル」は、絵付けやデザイン、造形からだけでは真作との区別は全くつかない。実にそら恐ろしい贋造力である。したがって現在「サンソン」と称して売られている作品(贋作だと見分けがつく作品)の多くはサンソン製ではない可能性が高い。本物のセーヴルやマイセンに見える作品こそがサンソン製であったりするのである。アンティーク磁器を購入する場合は、たとえそれが18世紀のフランス磁器専門店であろうと、知識と経験ある学者出身のアンティーク店主であろうと、説明は信用はできない。ましてそれ以下の店については言わずもがなである。作品が「好き」なら購入すればよいのであって、「窯名」は意識から除外するべきだ。
 このようなサンソン社に比べれば、「わかりやすい」贋作者であったジャン・マルク・クラウスは、1846年に亡くなり、息子のアルフォンスが工房を引き継ぎいだ。アルフォンスが1868年に亡くなると、その息子のマルク・ユージーヌ(マルク・オイゲン)が経営するようになり、彼は1887年、アシーユ・ブロックとレオン・ブルドワを共同経営者に迎えた。1890年にマルク・ユージーヌ・クラウスは株を手放して引退し、1900年にはレオン・ブルドワも経営から身を引いた。会社はアシーユ・ブロック一族のものとなり、息子のロベールと孫のミシェル・ブロワ親子の時代となった。ちょうどこの時期にはマイセン窯から訴訟を起こされ、マイセン窯の窯印に類似した双剣マーク使用の禁止という判決を受けているので、20世紀になっても贋作活動を続けていたということになる。
 この窯はかなり以前から「ポルセレーヌ・ド・パリ」と呼ばれており、1948年には公式に商標登録を済ませ、今日までこの社名で磁器生産を続けている。ただし歴史的に見れば「ポルセレーヌ・ド・パリ=クラウス工房」は、オリジナリティーのある製磁業者と考えることは難しく、サンソン、フィッシャー(ヘレンドのこと)、ヴァーリス、ヴォルフゾーンと並んで五指に入る、大規模なコピー・メーカーだったといえる。

 さて本品であるが、ウースター窯第一期の「エキゾティック・バード(もしくは「ファンシー・バード」)」の雰囲気を真似た絵付けがなされている。しかし、太り気味でバランスの悪い鳥絵は、その構図も色の組み合わせも、ウースター窯第一期当時にこの手の絵付けを担当していたロンドンの外部絵付け工房の芸風とはあまりにも異なっている。染付の藍地にはウースター窯のオリジナルを写したスケール(鱗)文様が施されているが、図柄が整然としておらずに粗く、技術の至らなさが伺える。ソーサーのスケール文様の染付は磁器を通って裏に抜けてしまい、表の図柄通りのシミを裏に残している。技術が足りない証拠である。金彩の筆使いもやや投げやりである上、金の色がくすんでおり、当時のウースター窯の特徴である「ハニー・ギルディング(蜂蜜練り金彩)」とは全く輝きが違っている。素磁は硬質磁器製であるため、こうした部分でも本物(ステアタイト磁器)との見分けはつく。
 薄手に作られている点と、ハンドルが小さくできている点など、造形の側面からは優れた贋作であると評価できる。つまりは夜の暗闇に置き、蝋燭の明かりで見れば、まあ騙されるかな?というレヴェルであろう。
 サンソン社が1850〜1900年頃にかけての全盛期に作ったエキゾティック・バードの贋作は、圧倒的な存在感と気品に満ち、18世紀にロンドンの絵付け工房が加飾した本物のエキゾティック・バードよりも、むしろ絵付けの技術は優れている。構図、鳥の姿態と表情、体色の組み合わせのいずれもが上品で美しく、見るものを捕えて離さない迫力がある。逆にその濃密過ぎる画面の主張、上手過ぎる絵付けの線、華やか過ぎる雄弁さが、かえって贋作性を明らかにする、といった具合だ。しかし全盛期のサンソン社製エキゾティック・バードを目にした時、筆者は一度も「こんな贋物はいらない」と思ったことはない。見た作品の全てが買いたくなる。ウースター製の本物よりもサンソン製の贋作の方を部屋に飾ってみたくなる。サンソン社の贋作品はそれほどの魅力を備えた品物であると理解して頂きたい(ただし20世紀になると、サンソン製品の品質は落ちる)。「ヘタクソ」「なんとなく汚い」「贋物くさい」と感じるような作品は、サンソン製ではない。なんでもかんでも「贋物はサンソン(サムソン)」と言って済ますのはやめよう、ということである。
 







ジャン・マルク・クラウス(と考えられる)
1880〜1900年 染付で文字の中が白抜きのCの窯印
ティー・ボウル:H=48mm、D=82mm/ソーサー:D=140mm
 本品はパリの贋作メーカー、ジャン・マルク・クラウス(ポルセレーヌ・ド・パリ)によって作られた、ウースター窯第一期(ドクター・ウォール期)の「ダルハウジー・パターン」のコピー品である。

 「ダルハウジー・パターン」とは
 この絵柄はウースター窯で1780年代の十年間に作られ、「ダルハウジー・パターン」と呼ばれている。「ダルハウジー」とは一般に、ダルハウジー伯(ダルフージー伯)ジェイムズ・ラムゼイ(1812〜1860)を指している。彼はスコットランド出身でホイッグ党に所属し、政治家としてのキャリアの後半生はインド総督として過ごした。彼は第十代のダルハウジー伯爵で、後に初代のダルハウジー侯爵となった。この人物が所蔵していた食器セットだったということから、本品の図柄を「ダルハウジー・パターン」と称する。
 しかしここには矛盾もある。ウースター窯で「ダルハウジー・パターン」が製造されたのは、ジェイムズ・ラムゼイが生まれる三十年も昔のことであり、彼がこれを所有するようになったのは、早くとも製造から五十年を経た頃だっただろうということである。ラムゼイ家でこの食器を注文したのは、彼の祖父である八代目のダルハウジー伯爵であっただろう。にもかかわらず十代目のジェイムズ・ラムゼイの名前が挙げられるのはいかにも不自然である。
 理由としては、19世紀後半のアンティーク商がこのデザインの食器(贋作も含めて)を売る際に、インド総督として非常に知名度が高かったジェイムズ・ラムゼイの名前を利用したということだ。同じウースターで「クィーン・シャーロット・パターン」や「ロイヤル・リリー」といった図柄名は、いずれも19世紀後半にアンティーク商が付けた呼び名であり、製造から七、八十年にわたって、そのようなパターン名はなかった。「クイーン」とか「ロイヤル」を売るための箔付けに用いようとしたのと同じ目論見によるものと考えてよい。
 19世紀のヨーロッパ社会は、サウス・ケンジントン・ミュージアム(現ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム)に始まる装飾工芸ブームと個人コレクション・ブームに加えて、万国博覧会(贋作の製造・販売を受注する場)における贋作マーケットの伸張の影響から、贋作を骨董として売ろうとするアンティーク商や、贋作を密かに注文して展示品を充実させたい美術館・博物館の思惑が渦巻いていた。このような事情のもと、「ダルハウジー・パターン」はウースター窯の絵付けの中で、最も多くコピーされた図柄の一つとなっていった。

 「ダルハウジー・パターン」の特徴
 この図柄にはいくつかの約束事がある。まず図柄の中心にピクチャレスク風の風景画がある。山、水、雲、立ち木、城や館などで構成され、薄い水色、黄緑、薄い紫、薄い茶色をメインとした、イギリス風景画の伝統色による湖水山岳風景が描かれる。
 風景画の回りには、はっきりした不透明の水色の顔料で、枠装飾が描かれる。空豆やとうもろこしの形に似ているため「ハスク装飾」と呼ばれている。
 周囲の白地には花絵が三種類、昆虫が三種類描かれるが、花の組み合わせと花の種類、昆虫の種類は、かなり厳密に決められている。「ここにこの色の薔薇とその蕾が何輪あって、ここに忍冬が一輪飛び出している」とか、「昆虫は羽を開いた蝶、横向きの蝶、フタホシテントウムシ」などということが、いちいち守られている。
 ただし、ラムゼイ家所蔵の本来のダルハウジー・パターンでは、三種類の花絵ではなくフルーツの組み合わせが三種類描かれ、より高級感のあるデザインとなっている。19世紀後半にはフルーツ三か所の図柄も花絵三か所の図柄も、ひとまとめに「ダルハウジー」と呼ばれたわけであるが、もとを正せば本品の図柄は「ダルハウジー・パターン(フルーツのもの)」のヴァリエーションということになる。
 また、同じ図柄でフルーツの部分を鳥絵に置き換えたものを「ヘンリー・サイン卿のパターン」と呼ぶ。
 外周には染付の藍地があり、金彩は口縁が連続フリル(ドンティル・ボーダー)、染付の上に矢印付きのアーチ繋ぎ、染付端に二重の連続C型文様が描かれることになっている。
 造形は「バーティカル・フルート(縦縞の連続)」で、窯印は染付で中が白抜きのC文字が書かれる。

 本品の真贋について
 本品の素材はウースター磁器の特徴であるステアタイト磁器ではなく、硬質磁器製であることから、真贋の判別は容易であるが、絵付けの具合や顔料の発色の色合いからも、真贋を見分けることができる。空や水に濃く鮮やかな青が用いられているのはよいが、遠景の山の色が暗いのは間違いである。遠景は薄く描かねばならない。最もおかしいのは水に映る影で、本物は巧みに水の深さを表現しているものだが、本品にはそれがない。雲も色を付けただけの仕上げで、本物では複雑な立体感と遠近感が、光と影を用いて見事に表現されている。建物は輪郭線の中に色を塗っただけという印象で、手抜きが感じられる。
 花や昆虫も色遣いはよいとして、その描き方にはやはり手抜き感が否めない。比較的出来がよいのは金彩と、風景画枠部分の水色エナメルによる「ハスク文様」である。
 しかし概ね正確なコピーである本品は、写真を見たか本物を目の前にして製作されたことに間違いはない。白黒写真では花の色の位置がわからないので、おそらく真作を購入したか借りたかして写し取ったものであろうと考えられる。

うまく模造した点
1.バーティカル・フルートが本物と同じく24本に造形されている。
2.窯印が本物にありがちな、やや右下方にずらして書いてある。
3.水色のハスクの発色と形がよい。
4.花の色が濃く鮮やかである。
5.口縁部の金彩のフリル文様が、本物と同じく「隙っ歯」に描かれている。
6.風景画に含まれるモティーフが一定の要素を満たしている。
7.紫色の雲を浮かべている。
8.釉薬を本物にありがちな、微妙に薄緑色がかった仕上げにしている。

模造に失敗した点
1.素磁が硬質磁器である。
2.ハスク装飾周囲の内側の黒線が、豆型に添う形が弱く、直線的になってしまった。
3.風景画の空と水の青がやや濃過ぎる。遠景の山の青が濃過ぎる。
4.風車や建造物が黄色と薄茶色だけで描かれるのが単純過ぎる。本物には橙色が入る。
5.陸地が水に映る影の部分の形がはっきりしない。本物は最も暗い紺か黒で描かれる。
6.雲に立体感がない。本物は太陽が当たる雲の上側を白く、下側を紫で描く。
7.花絵の筆が粗過ぎる。特に本物の花絵はもっと極細の描線が多く入れられる。
8.昆虫の向きが違う。

 本品を製作したのはサンソン(英語読みで「サムソン」)社ではないのか?
 本品を製作したのはパリのサンソン社ではない。エドメ・サンソンが始めた絵付け工房は「サンソン、ザ・イミテイター」と呼ばれ、贋作専門の磁器メーカーとして知られる。もちろんウースター窯第一期の「ダルハウジー・パターン」もサンソン社が贋造している。しかしその品質は非常に高く、硬質磁器製である以外は本物と同じ見た目である。
 クリスティーズのオークションで二回目の大規模なサンソン特集の売り立てとなった1979年十二月から1980年五月にかけての連続オークションで、ウースター窯の「ヘンリー・サイン卿のパターン」のコピーが出品され、同時に花絵の皿も売られたが、「ヘンリー・サイン」はどこをとっても素晴らしい出来栄えであり、また花絵の皿も派手な金彩の違和感を除けば、18世紀のウースター窯にまるでそっくりな描き方であった。
 サンソンが作ったダルハウジー・パターンの贋作は、写真だけでは筆者にも見分けがつかない。もしステアタイト磁器で作られていたならば、本物と判定することにためらいはない、という出来である。本品のような「甘い作り」とは無縁の贋作なのである。
 

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