ダービー
1775年頃 紫色のエナメルで王冠にDの窯印
 金彩:エドワード・ウィザーズ
コーヒー・カップ:H=69mm、D=70mm/ソーサー:D=138mm
 カップとソーサーには細い波状の立体造型が刻まれており、これはカップでは右斜め下方向へ流れている。磁胎はやや灰色味を帯びて、滑らかな釉薬で覆われており、透過光は僅かに緑色である。
 口縁部に巡らされたフランス風のオペラ瓔珞文様には、釉薬上に鮮やかで軽い紺青色の半円線が施されている。ここに用いられている顔料は「スミスズ・ブルー」と呼ばれ、コンスタンティン・スミス(名高い金彩師ウィリアム・スミスの父)が開発したとされる。
 「スミスズ・ブルー」の周囲に描かれた金彩文様は、エドワード・ウィザーズの手によるものである。ウィザーズはウィリアム・ビリングズレイが彼一流の薔薇絵の様式を確立させる前までは、ダービー窯随一の花絵付け師と目されていた人物である。ダービー窯では金彩師が磁器作品の裏面に窯印を書き入れる習わしになっており、その筆法(書き癖)から誰が金彩を担当したのかが特定できるように研究結果が公表されている。本品にはいわゆる「ロングテイルD」という独特の書き方をするエドワード・ウィザーズの窯印筆跡が残されている。
 本品は1775年頃に作られたダービー窯製カップ&ソーサーを特徴づける典型的な作例であるばかりでなく、厚みのある金彩や盛り上がった白エナメルの表現など、繊細で上品な貴族好みの食器を多く手がけたダービー窯の職人達が持っていた、センスの良さと技量の確かさを見て取ることができる作品である。
 







ダービー
1770〜1783年 金彩で錨の窯印
コーヒー・カップ:H=66mm、D=65mm/ソーサー:D=130mm
 本品はダービー窯の経営者であったウィリアム・デュズベリが、ロンドンにあったチェルシー磁器工場を買収した1769年以後に、ダービー窯で製造されたものと考えられる。
 裏には金彩で小さな錨の窯印が書き込まれているため、従来は単純に窯印だけを見て「チェルシー窯ゴールド・アンカー期(1759〜69)の作品」とされてしまうことが多かった。しかしこの作品の他の類例の製造時期、図柄の源流であるフランケンタール窯のファルツ選帝侯への売却時期(1762年)、ロンドンの磁器商人の帳簿に現れるフランケンタール磁器の輸入・販売記録などから(フランケンタール窯との関わりについては後述)、1770年以降のダービー製であるとした。
 ただし「金の錨」の窯印がダービー窯の製品にもある、ということを認識している人は非常に少なく、とりわけ我が国では多少アンティーク磁器を噛った程度の骨董業者やコレクターでは、この説は理解できない場合が多いということを知るべきである。筆者も1996年の「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」刊行時には、この説は採っていなかった。
 本品には明るい紫色で菊を中心とする花絵が描かれ、金線を書き詰めて余白を埋めている。このデザインはドイツ圏ファルツ選帝侯領にあったフランケンタール窯で1760年代にデザインされ、その磁器を輸入することにより、ロンドンを発祥として英国各地に伝播した図柄である。当時ロンドンに集中していた磁器絵付け専門工房では、フランケンタール窯製白磁を絵付け用に輸入し、また販売用に色絵・金彩を施した完成品も輸入していた。中でもこのデザインはチェルシー=ダービー窯で製造され、またフランケンタール磁器を輸入・販売していたジェイムズ・ガイルズ(ジャイルズ)工房でも、ウースター製白磁にこの図柄を描いている。本品はモノクローム(単色)だが、ポリクローム(多色)の花絵も描かれた。
 フランケンタール窯は、フランス圏のストラスブールで硬質磁器窯業を営んでいたハンノン(アノン)一族が、1755年、ドイツ圏ファルツに移動して興した窯で(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.232 参照)、1762年に選帝侯カール・テオドールに窯を譲渡するまではファイアンス風の花絵やシノワズリー人物画などを多く作っていた。本品はドイツ風の花絵で、後にニンフェンブルク窯に図柄が伝承されていった。ダービー窯では、おそらくロンドンのチェルシー工場から伝来したこのデザインのフランケンタール磁器をコピーしたと考えられる。それを裏付ける証拠として、この図柄のダービー磁器には、裏にフランケンタールの窯印(選帝侯に譲渡後のマーク)を染付で書き込んだ作品が存在する。
 したがって本品は、1770年代にダービー窯で作られた、フランケンタール磁器の模造、と結論づけられる。ただし、窯印はチェルシー窯のゴールド・アンカー期のものと同一、ということになる。
 一方、本物のフランケンタール製品と、フランケンタールを模した窯印を書き込んだダービー製品とは、材土の質や釉薬の色艶で見分けるしかない。本品が窯印通りにゴールド・アンカー期(1759〜69)のチェルシー窯製なのか、あるいはチェルシー=ダービー期(1770〜83)のダービー窯製という、窯印の観点からすれば大胆な説が正しいのか、という問題を含めて、結局窯印というのは真贋判別や年代特定には大して役に立たない場合もある、ということが言える。
 窯印から製造元を特定しようとすることは「洞窟のイドラ」に陥りやすい。「洞窟のイドラ」とは偏った知識や乏しい経験によって考えるため、狭い世界の中でしか物事を判断せざるを得ず、結果的に真理に近づく道の妨げとなる幻影のことである。この際、窯印至上主義には警鐘を鳴らしておきたいと思う。
 




ダービー
1775〜80年 陰刻されたNの窯印
コーヒー・カップ:H=65mm、D=65mm/ソーサー:D=128mm
 本品はカップ、ソーサーともにひねりを加えたフルート造形に、アカンサスの葉文様がレリーフ(エンボス)で装飾されている。このデザインは、同時期のニール窯にもほぼ同様の作例を見ることができる。
 絵柄はミントブルー色のバンドに、多種の花によるフェストゥーンが描かれている。全体に細かいペッパー状の灰降りの跡が見られる。
 カップにはNの陰刻と、セーヴルなどフランス製の軟質磁器の高台脇にある、吊し焼きの穴を模した小さな窪みが作られており、これはダービー窯製品の一時期の特徴になっている。
 



ダービー
1775〜80年 エナメルで王冠の下にDの窯印
ティー・ボウル:H=47mm、D=86mm/ソーサー:D=136mm
 ボウル、ソーサーともに縦縞のフルート装飾に造形され、薄紫色のバンドに簡潔なスクロール文様があしらわれている。多種類の花のフェストゥーンが描かれたこのパターンは、同時期にロンドンにあったチェルシー=ダービー窯の作品とも共通のもので、このことからチェルシー=ダービーの窯印が書かれた製品でも、その多くはダービー工場で製造されたと考えられる根拠の一つとなっている。
 本品の釉薬は透明で厚みがあるガラス質で、「貫入(貫乳)」とよばれるヒビが、表面に多数走っている。ただしこれはソーサーのみの現象で、ボウルの釉薬はさほど透明ではなく、また厚みもない。ヒビも入っていない。またボウルの釉薬は高台までかかっており、宙焼きしたことを示す三か所の目跡が高台上に残っている。
 窯印はボウルが青のエナメルで、ソーサーが絵付けに使用されているのと同じ紫のエナメルで、王冠の下にDの文字が書かれている。これは現代の「ロイヤル・クラウン・ダービー社」(本品の「ダービー」とは違う企業。→ロイヤル・クラウン・ダービーのページ参照)が、「我が社は1775年にジョージ三世から『クラウン』を商標に冠する許可を賜りました」と称している、まさにそのマークである。この文中の『クラウン』が、「クラウン・ダービー」という呼称のもとだと言いたいのか、あるいは「王冠にD」の窯印が登録商標であると言いたいのか、非常に曖昧な表現である。「王冠」を和訳しないで『クラウン』としているところに欺瞞があるわけで、結果としては「『王冠』の図柄を書いた窯印を使用し始めた」ということであり、「冠する」とか「賜った」というような有難みのあるものではない。もちろん「ロイヤル・クラウン・ダービー社」の『クラウン』は称号とは無縁のもので、会社設立当初(1876年登記)以来、社名としての単なる固有名詞の一部にすぎない。
 




ダービー
1795〜1800年 水色のエナメルで王冠、交差するバトン、Dの文字を組み合わせた窯印
ティー・カップ:H=64mm、D=76mm/ソーサー:D=142mm
 本品は、ダービー窯創設者のアンドリュー・プランシェにかわって事業を育ててきたウィリアム・デュズベリの死後(1786年)、会社を引き継いだ息子のウィリアム・デュズベリ二世の時代に製作された。
 カップはプレーン・ハンドル付きのビュート・シェイプで、ハンドルは幅が細め(約8mm)のものが取り付けられている。このシェイプのシリーズには、より幅広のハンドルに金彩で派手な連花文様などをあしらった豪華な作例も残されている。
 カップには石造りの単股橋が丁寧に描かれ、そこを人物二人が渡っている。向こう岸には、植物に覆われておそらく廃墟になっているゴシック風の建物が、同じく丁寧に描かれている。カップ底裏には窯印に添えて「シュロップシャー州、ストウブリッジ近郊」と書かれており、実際の風景を写したものであることが示されている。
 一方ソーサーには、渓流釣りに興じる二人の人物が描かれている。川の流れに丁度段差があり、小さな滝状の流れができている。このような場所は遡上する魚が多く集まるので、釣りのスポットとして好適とみえ、そのため釣り人を多く引き寄せる場所ということなのだろう。向こう岸には城塞の跡と、隣接する赤茶色の屋根を持った館が描かれている。底裏にはカップと同じ筆跡で「シュロップシャー州、セヴァーン川のほとり」と書かれている。セヴァーン川はイングランド南西部に実在する河川で、カンブリア山脈に源流を発し、セヴァーン渓谷を貫く美しい流れである。流域にはウースター市があり、河口はブリストル湾に注ぐ、窯業地を結ぶ川で、ルンズ・ブリストルが買収後ウースターに移転した理由は、セヴァーン川によって両市が連携していたためである。
 このカップ&ソーサーは、絵付師ジョージ・ロバートソンの筆になると思われる。ロバートソンは海洋船舶図でも有名だが、本品のようなシュロップシャー州やダービーシャー州、スコットランドなどの自然風景をモティーフにした作品も多く残している。
 

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