コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1815〜25年
ティー・カップH=53mm、D=99mm/ソーサー:D=144mm
 1810年代から流行したハート型ハンドル(キドニー型ハンドル)付きのダゴティ・シェイプは、イギリス製品ではナントガーウ窯の作例が最もよく知られるが、本品はジョン・ローズ&Co.が製造している。ナントガーウ窯のハート型ハンドルは上下のループの大きさに差違があるが、コールポート窯の製品では上下のサイズがほぼ同一程度のデザインになっている。また、口縁内側には複雑な連続文様のレリーフ(エンボス)による凹凸が施されている。
 濃い緑地にロココ風のCスクロールを重ねた枠線装飾が金彩で描かれ、空白の要所にピンク色で格子文様やカユテ(小石文様)、ウーイ・ド・ペルドリ(岩鷓鴣の目文様)などが描かれ、全体に18世紀のフランス王朝趣味で統一されている。
 風景画はコールポート窯の製品ならではの画風で、川や橋、屋根に草が生い茂った廃墟や、遠くの丘の上の城、小さな人物や立木など、実風景ではなくある程度パターン化されたモティーフの組み合わせによる小さな情景が描かれている。
 本品にはコーヒー・カップが添っており、トリオのセットになっている。
 






コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1818年
コーヒー・カップH=61mm、D=75mm/ソーサー:D=147mm
 本品はコールポート社で「ニュー・エンボスト・シェイプ」と呼ばれている形状で、18世紀前半にマイセン窯でデザインされた「ゴッツコウスキー型」のコピーである(→美術館「マイセン」のページ参照)。ハンドルは二種類が製作され、口縁より高い位置から大きなハンドルが取り付けられている。本ページに前掲の作品では、やはりマイセン窯のコピーである「ドレスデン(Jシェイプ)・ハンドル」が用いられている。
 地色は比較的珍しい薄いクリーム色で、エンボス部分の花を白抜き状に避けて塗られている。エナメルで多色の花束と、金彩で小花とドンティル・ボーダー(歯形のフリル)が四か所に分けて描かれている。
 







コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1827年
ティー・カップ:H=48mm、D=93mm/ソーサー:D=145mm
 本品は装飾的で複雑な造形のハンドルと、口縁にガドルーン装飾を伴うカップで、スポード社でこれと類似した形状を「ペンブローク・シェイプ」と呼ぶことから、コールポート社製のカップでもこの呼称を用いている。カップとソーサー共に細く緩やかに盛り上がったフルートの筋装飾があり、ソーサー中央部にはカップ高台を納める円周状の隆起がある。
 花絵には燻んだピンク色と小豆色の二色に塗り分けた背景色が施されており、この色は先に描いた花や葉、茎などを避けるように塗り潰されている。横一線に並べられた多種の花絵は、大陸の磁器装飾を模した様式で、イギリスではロンドンに集中していた絵付け専門工房でしばしば製造されたデザインとして知られる。
 







コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1830〜35年
ティー・カップ:H=54、D=104mm、コーヒー・カップH=64、D=83mm/ソーサー:D=147mm
 濃いピンク色とクリーム色の二色に塗り分けられた地色に果実絵と花絵が描かれている。ソーサーをよく見ると、クリーム色の地色は巻き貝のデザインになっており、合計六個の貝殻が金彩で表現されている。
 フルーツと花は、カップには桃やドッグローズ、ソーサーには西洋梨、林檎、野苺にポピーが描かれ、それぞれの果実には小花も描き添えられている。フルーツと花は分業で、異なる絵付け師による仕上げとなっており、当然地色塗りと金彩も別々の職人の手になるものである。
 形状は口縁に装飾的な植物のガドルーンがあり、ハンドル上端がカールするペディスタル付きのカップで、コールポート社では「No.7のシェイプ」と呼びならわされている。
 






コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1845〜50年
コーヒー・カップ:H=66mm、D=70mm/ソーサー:D=145mm
 本品は二重の細いリブ装飾が左右二本で角棒状の隆起を作り、それが上端でY字形に開いてアーチを形成するという、特殊なフルート造形をしている。口縁には細かいガドルーン装飾があり、リング・ハンドルが取り付けられている。
 絵付けはロココ装飾様式のフランス磁器のデザインをコピーしたもので、18世紀への懐古的作品であるといえる。折り返されたリボンの水色のエナメルや、フェストゥーンの花や葉は全て手彩色だが、これらの外線部分にはプリント下絵が用いられ、省力化を図っている。金彩は手描きで、プリントは使用していない。
 絵柄そのものに目新しさは全くないが、ユニークで凝った細部の造形は18世紀磁器とは一線を画す特質を有する。
 







コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1850〜54年
コーヒー・カップ:H=72mm、D=78mm/ソーサー:D=147mm
 コールポート窯の創業者でオーナーだったジョン・ローズは、1841年に亡くなった。会社はチャールズ・マディソン、ウィリアム・ピュー、トーマス・ローズ、ウィリアム・フレデリック・ローズが引き継いだが、社名は依然として「ジョン・ローズ& Co.」を使用し続けた。1843年にトーマス・ローズも亡くなり、ウィリアム・ピューとW.F.ローズが経営を担当した。
 本品はピューとW.F.ローズの体制下であった1850年4月に、コールポート社が「ジョン・ローズ&Co. コールブルックデール」の名義で「クラレンドン」という意匠登録名を付けた形状である。クラレンドン・シェイプは緩やかな段差のあるカップ本体と、輪花に造形された口縁が特徴で、ハンドルは接着部が三叉に分かれている。
 絵柄はロココ風のCスクロールで構成された文様が明るい青地を伴って巡らされており、これらの図形に同一のデザインはなく、全ての部分が非対称で独立した意匠になっている。様々に姿態の異なる鳥が、カップ、ソーサーともにそれぞれ五羽ずつ、文様と融合するように描かれている。18世紀磁器の装飾デザインを範としながらも、淡いパステル調の色遣いやグラデーションによる暈しに斬新さが伺える作品である。
 ソーサー中央部の金彩文様と同じものが、カップ見込みにも描かれている。
 






コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1800〜10年
ティー・カップ:H=58mm、D=75mm/ソーサー:D=131mm
 本品は細い黒線で正確に枠取られた大小の三角文様を、上下に組み合わせた幾何学的な金彩図形で全体を四分割し、余白に十五弁の二重菊花文様と、それを囲む草文様が描かれている。堅実な金彩技術でフランス風のインスピレイションを与えてくれるユニークなこの図柄を描いたのは、ロンドンで上絵付け専門に仕事をしていたトーマス・バクスター工房であろうと考えられる。
 トーマス・バクスターはウースター出身で、1797年9月にロンドンのクラーケンウェルに絵付け専門工房を開設した。1810年代には息子のトーマス(1782〜1821/父と同名)のもとで事業は繁栄した。白磁の主な仕入先はウースター窯とコールポート窯で、チェンバレン製やスウォンジー製の白磁にも絵付けを施した。絵付けは極めて高品質で、フランス風の豪華な色絵と精密な金彩を施した美術品の製作を得意としていた。コールポート窯ではロンドンにあった複数の絵付け専門工房に卸す白磁の売り上げが、経営の根幹を支える大きな収入源となっていた。
 本品のように黒の細線で枠取りした幾何学的金彩文様は、バクスター工房のデザインの特徴である。「アンティーク・カップ&ソウサー」p.59に、コールポート製白磁、トーマス・バクスター工房絵付けの作品が掲載してあるので、ご参照いただきたい。
 






コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1820〜25年
ティー・カップ:H=58mm、D=94mm/ソーサー:D=145mm
 ロンドン・シェイプのヴァリエーションで、口縁がラッパ状に開いたフレア・タイプの造形になっている。ジョン・ローズ&Co. が1820年に発表した無鉛長石釉白磁で製造され、全体に厚みがあり、重い磁胎でできている。
 多種の花絵には濃い赤紫〜薄紫の背景色が施されている。この背景は、花を先に描いた後に、色絵部分を避けて塗り潰して仕上げており、高級品に用いられた技法である。
 カップの外側には、内側にある金彩装飾のデザインの一部を用いた大胆なスクロール文様が描かれている。
 






コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1840〜50年
ティー・カップ:H=62mm、D=80mm/ソーサー:D=139mm
 本品はセーヴル窯製カップ&ソーサーの完全コピー品として製作された。ここに見るピンクの地色に緑色の組紐文様は、18世紀のルイ十五世時代にセーヴル窯で製造されていたデザインで、多くの作例が残されている。その意匠をそっくりそのまま巧みに写し取っており、花絵にもプラムや葡萄、桃が加わるなど、通常のコールポート製食器の花絵とは異なる風情を持っている。
 形状の面でもセーヴル窯を模倣しており、カップは二筋の捻りハンドルをあしらったゴブレ・エベール型、ソーサーは五稜の輪花をなすスクプ・エベール型で、いずれもヴァンサンヌ=セーヴル窯で使用された形状をそっくりに真似している。
 コールポート窯では1860〜70年代にかけても、この地色と図柄のティー/コーヒー・セットなどを製作しているが、後年の作品では緑色の組紐(もしくはカルトゥーシュ)装飾の末端部のデザインに、コールポート窯独自のオリジナリティが出てしまい、必ずしもセーヴル窯の完全コピーとは言い切れなくなってしまう。その点1840年代に作られた本品は、セーヴル窯のデザインに忠実に従っている。なおセーヴル窯では、緑色の組紐装飾を「ブリュ・ラピ地(紺色)」と組み合わせて描いた作品なども製作している。
 花絵は関しては、コールポート窯の最有力絵付け師の一人で、鳥絵のジョン・ランドールとは双璧と謳われたウィリアム・クック(1800頃〜76年)の様式と、全く同じコンセプトの絵柄が描かれている。すなわち「花の隣に桃・林檎・洋梨などの果実を描く」「画面の片端部に、実を連ねた房状の果物を描く」「画面の下端もしくは片端部に、同一の花が紐状に連なる花蔓を一本描く」というのがクック独自のフレンチ・スタイルで、これら全ての条件が本品の花絵では満たされている。このことから本品はウィリアム・クックが描いた作品と考えられる。残念ながらカップ&ソーサーの画面は花瓶などに比べて小さいので、クックの実力が十分に発揮されているとは言えないが、本来彼の筆致が持つ気品と迫力、立体感は、通常の絵付け師の腕では到底及ばないものだった。
 ウィリアム・クックはジョン・ランドールの叔父であるトーマス・マーティン・ランドールが主宰する「メードレイ工場」で修業し、セーヴル窯の贋作者としての絵付け技術を習得した。コールポート窯に雇われたのは1840年頃と言われるが、作品は1843年以降に現れるとする説もある。以来晩年までコールポートで絵付けを行い、花と果物を組み合わせたセーヴル写しの画風で高い評価を受けた。

 本品と同じ形状で、ジョン・ランドールがコールポート窯で描いた作品が「アンティーク・カップ&ソウサー」p.114に掲載してあるので、ご参照いただきたい。こちらも地色、金彩文様ともにセーヴル窯を模倣し、「セーヴルズ・バード」を描いた作品である。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1815〜25年
コーヒー・カップ:H=63mm、D=70mm/ソーサー:D=137mm
 ロンドン・シェイプのカップに、紫と水色の濃淡で描かれたスクロール、薔薇の花と葉、余白を金彩の細かい葉文様が埋めるという、フランス風のデザインがあしらわれている。ソーサー中央には淡いグレーで大理石を模したマーブル文様が描かれている。
 このコーヒー・カップはロンドン・シェイプの様々な作例の中でも、最も小さいサイズのものである。
 ソーサーの高台まわりの部分には、カップに見られるのと同じような段差が造形されている。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1805〜10年
コーヒー・キャン:H=64mm、D=69mm/ソーサー:D=134mm
 ハイブリッド・ハードペースト(擬似硬質磁器)で焼かれた筒形のコーヒー・キャンである。容量はビュート・シェイプのティー・カップとほぼ同じで、紅茶用として使用される例もあったというのが、近年の定説となっている。
 絵柄はイギリス人が「ファン・パターン(扇文様)」と呼ぶ菊花文で、このデザインは伊万里焼きの完全コピーである。すなわち、全く同じ絵柄が日本製の磁器作品にある。この菊花文は古くはマイセン窯やウィーン窯など大陸の硬質磁器窯でコピーされ、英国ではウースター窯やミントン窯(実態はウースター窯のコピー)などで製作された(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.76参照)。
 地文様には、これもまた日本の磁器作品をコピーした葵文が、大胆ながらも正確に模倣され、余白には唐草文様が施されている。金彩部分の外線が赤で描かれているため、より華やかさが増し、同時に東洋的情緒を漂わせる結果になっている。
 




「染付不凋花文ソーサー」 イルメナウ窯 1790年頃


コールポート
1860〜80年
ティー・カップ:H=61mm、D=L81mm、S69mm/ソーサー:D=L132mm、S122mm
 本品はジョン・ローズ・コールポート末期から1890年代まで、長く製造されたデザインのカップ&ソーサーであるが、1881年以降に使用されたコールポート社の窯印が入れられていないため、1860〜70年代にかけての製品と考えられる。形状はマイセン窯をコピーした木瓜型で、「四葉型(キャターフォイル)」とも通称される(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.15、p.160、「アンティーク・カップ&ソウサー」p.12 参照)。
 紺地に金彩で描かれた絵柄は丁寧に仕上げられ、茎や花、葉の先には非常に細かい金盛りが緻密に並べられ、これは外枠の図線部にも施されている。大変手間のかかった仕上げということができる。
 ところで、ここに描かれているデザインを、「ザクセンの不凋花文様(l'immortelle de saxe)」という。この場合「ザクセン」とはマイセン窯を意味する。
 「不凋花」とは、枯れたり萎れたりすることのない想像上の永久花のことで、ギリシアで「アマランス」、ローマで「インモルテッレ(イタリア語)」と呼ばれた。その他フランス語、ドイツ語、英語でもスペリングは同じで、“immortelle”と綴る。
 「不凋花文様(インモーテル・パターン)」は、基本的には釉薬下の酸化コバルトによる染付技法で描かれる図柄で、ヨーロッパでのオリジナルは、17世紀のオランダ・デルフト焼に始まると考えられている。それをコピーしたのが18世紀のマイセン窯で、ここからヨーロッパ中に広くこの文様が伝播していった。
 この「不凋花=インモルテッレ」という単語には、実在の植物「ムギワラギク」をさす意味もある。ムギワラギクは生きている状態でも花がカサカサと乾燥しているので、切ってドライフラワーにしても萎れることがなく、色もほとんど変わらない。そのためこの花には「不凋花」の呼称が与えられた。ドイツでは19世紀になって、「イモルテレ(ドイツ語)」を「不凋花」ではなく「ムギワラギク」と誤解するコレクターが現れ、以来この図柄を描いたマイセン窯などドイツ圏の製品は、俗に「シュトローブルメンムスター(麦藁菊文様)」と呼ばれるようになった。ムギワラギクはドイツ語で「シュトローブルーメ」というからである。ただしこの図柄は、あくまでも想像上の永久花文様であり、ムギワラギクのような具体的な植物を描いたものではない。
 この文様がマイセン窯で描かれたのは1740年以降で、間もなくヨーロッパ諸窯にこのデザインが広まった。ドイツ圏では1760〜70年代にかけて、フュルステンベルク窯やルートヴィヒスブルク窯といった有力王立窯で不凋花文様がコピーされ、またテューリンゲン地方の中小の窯場でも盛んに製造された。特にヴァレンドルフ、フォルクシュテット、リンバッハ、イルメナウなどの諸窯で焼かれた大量の作例が今日まで伝わっている。中でもイルメナウ窯では、この図柄の量産品が1790年代の製品の中核をなしていた。しかしその品質は極めて低く、粗製乱造という評価は避けられない。
 ドイツの王立窯やテューリンゲン地方の諸窯では、この不凋花文様を染付ばかりでなく、赤紫色の顔料でも描いた。本サイトのミュージアムにあるルートヴィヒスブルク窯や、コラム6番のマイセン窯に見られる色合いがそれである。イルメナウ窯でもこのような赤紫色で、夥しい数の不凋花文様食器が描かれた。
 この赤紫の色合いは、ムラサキイガイ(ムール貝)から作る「古代紫」「貝紫(染織の貝紫原料は、主にアカニシやイボニシなど、巻貝の内蔵から採取する)」と呼ばれる天然染料に似ている。この染料は一つの貝からほんの僅かしかとれないため、非常に貴重なものだった。今日ムール貝といえば、食用のイメージしかないが、昔は高級染料の原材料としても名高く、赤紫は高価な印象を与える色合いだったのである。
 その後、フュルステンベルク窯出身の造形師アントン・カール・ルプラウとクリスチャン・ルプラウ兄弟の技術指導により、デンマークのコペンハーゲン窯で、1776年以降、染付の不凋花文様を描いた食器が焼かれた。程なくしてコペンハーゲン窯でも、イルメナウ窯などドイツ諸窯と同様に、赤紫色でこの文様を描くようになった。ムラサキイガイは「マッセル」と呼ばれるので、赤紫の色合いを「貝紫」になぞらえて、コペンハーゲン窯では不凋花文様を「マッセルマレット(貝紫彩色、あるいは貝紫絵付け)」と称するようになった。以来、この文様を染付で製造した場合でも、「マッセルマレット」と呼ばれている。
 現代のロイヤル・コペンハーゲン社では、18世紀の絵付けの復刻作品として、赤紫色で絵付けを施した作品を製造・販売している。18世紀にはムラサキイガイの貝殻の内側の紫色の部分を集めて砕いた顔料で、実際に磁器絵付けを行っていたとの説があり、1995年頃に赤紫色の絵付けを施した製品がロイヤル・コペンハーゲン社から復刻発売された際には、その旨の説明がなされていた。染付ブルーのイメージが強いロイヤル・コペンハーゲン社では、赤紫色の作品は亜流の色違い品と受け取られがちだが、前述のように確固たる歴史に立脚したドイツ圏由来の作品なのである。
 19世紀末から20世紀にかけてのロイヤル・コペンハーゲン窯では、19世紀に一時製造が途絶えていた不凋花文様の作品の製作を再開した。そしてこのデザインを「ブルー・フルーテッド」と呼び、図柄の枠装飾の種類によって「フル・レース」「ハーフ・レース」という新しい分類も行っている。「ブルー・フルーテッド」は「染付青のフルート装飾」という意味で、皿などの縁に施された細い縦縞のレリーフを指す。このフルート装飾も、マイセン窯でデザインされ、ルートヴィヒスブルク窯やテューリンゲン地方などのドイツ諸窯が模倣したものを、コペンハーゲン窯が採り入れたものである。また「フル・レース」「ハーフ・レース」は枠装飾の手の込み具合を表現したもので、いずれの呼称も図柄の本題である不凋花を表してはいない。
 なお、コペンハーゲン窯がこの図柄を製造していなかった時期に、19世紀後半のコピー・贋作ブームに乗り、ボヘミア(チェコ)のエルンスト・ヴァーリス窯が、コペンハーゲン窯の窯印を書き入れた不凋花文様の贋作の皿などを大量に製造していた。これらは現在も真贋を見分けられることなく、コペンハーゲン窯の古い食器として流通している場合が多い。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1840〜50年
ティー・カップ:H=60mm、D=99mm/ソーサー:D=144mm
 エキゾティック・バードの絵付けで知られるジョン・ランドールは、1810年に生まれ、ジョージ三世、摂政時代、ジョージ四世、ウィリアム四世、ヴィクトリア女王、エドワード七世の治世を生き、ジョージ五世即位後の1910年11月に亡くなった。百年にわたる彼の人生の晩年にあたる20世紀初頭には、ランドールは英国窯業史の生き証人として、貴重な証言を後世に残した。しかしその生涯に製作した素晴らしい芸術作品の数々とは裏腹に、本人の活動に関する記録は少なく、またアーティストとしての重要性も低く認識され、彼に対する尊敬も必ずしも十分とは言えなかった。
 ところが1970年代以降、ランドールへの再評価が始まり、現在では彼の名は、コールポート窯に所属したアーティスト十傑の中でも最高の栄誉をもって讚えられるほどになった。ジェフリー・ゴッデンは「前時代の『ウィリアム・ビリングズレイの薔薇』と同格の名声を勝ち得た、当時代(19世紀)の『ジョン・ランドールの鳥』」と述べている。
 ジョン・ランドールは十八歳で、叔父のトーマス・マーティン・ランドールが経営するメードレイ工場に入り、ここで「セーヴルの鳥描き」としてのテクニックを習得した。早い話が贋作者としての腕を磨いていたのである。
 トーマス・マーティン・ランドールは、当初ロンドンで絵付け工房を営んでいたが、後にメードレイに移転して、セーヴル窯製品をコピーした絵柄を、イギリス製やフランス製の白磁に絵付けしていた。しかもフランス製白磁の大半は本物のセーヴル製であり、また既に色絵付け済みのセーヴル磁器にも再加飾(リデコレーション)をするといった製作活動をしていた。極めて高度なコピー技術で絵付けされた磁器には、セーヴルの窯印を書き入れるか、すでに窯印の入ったセーヴル磁器を使用したために、素人目には真贋の区別がつかない作品が多く出回ることになった。その絵付けはエキゾティック・バードやヴァトー風人物画、花絵などがあり、セーヴル風の地色も施されていた。
 このような環境で修業時代を過ごしたランドールは、数年後には超一流のフランス風絵付け師としてデビューすることになる。同じくメードレイ工場の出身者で、ランドールと親交を結んだ人物には、コールポートの名高い絵付け師ウィリアム・クックがいる。彼もセーヴルのコピー画を得意とし、花絵、フルーツ、フェストゥーンなどに優れていた。
 メードレイ工場を出たランドールは、当時全盛を極めた絶頂期のロッキンガム窯に、1831年から在職したと言われる。しかし1830年十一月の時点で、ランドールがロッキンガムで働いていたという証拠がある。それは有名なウィリアム四世即位記念のロイヤル・サーヴィスで、ロッキンガム窯が英国最高の磁器窯との評価を受けるきっかけとなった作品である。現在バッキンガム宮殿に所蔵されているこのセットに、ランドールが描いたエキゾティック・バードと海洋帆船図の皿が入っている。このセットの製作時期と納期から推測して、1830年、二十歳のランドールは、ロッキンガム窯でロイヤル・サーヴィスの製作に携わっていたと考えられている。
 その後1835年に、ランドールはコールポート窯に移籍する。これは叔父トーマス・マーティン・ランドールが、絵付け用の白磁をコールポートから買っていたことから、その甥のジョン・ランドールの絵付け技術がコールポート窯の経営者ジョン・ローズの目にとまり、好条件で招聘されたのであった。またランドールは、コールポートのトーマス・ハーヴェイの娘アンと結婚するが、このハーヴェイもメードレイ工場の関係者である。ハーヴェイは1820年頃にメードレイ・ウッドに居を構え、セーヴルの「ブリュ・セレスト地(強い水色)」の技法を習得した絵付け師であった。メードレイ工場でも、この水色地のテクニックで活躍したものと思われる。
 コールポートに移った後のランドールは、「セーヴルズ・バード」と呼ばれるエキゾティック・バードの専門家として有名になったが、更に勉強を続けて、自然そのままの鸚鵡や鷲をリアル描く技術も完成させた。ランドールが作る王室御用達品や万博出展品は、想像上のエキゾティック・バードではなく、現実の鳥類を細密に描いた写真のような作品が中心となっている。
 しかし当時のランドールは、絵付け師としての偉業よりも、むしろ鉱物学者としての知名度の方が高かった。1851年のロンドン大万博では、すでに化石標本の大コレクターとして知られていたジョン・ランドールの収集品が展示され、この化石コレクションは万博後に政府が買い上げている。その後も彼の鉱物収集は続き、1863年には王立地質学会の名誉特別会員に選ばれた。
 また1867年、芸術協会の万博視察委員となり、パリ万博に派遣されて磁器工芸と鉄材芸術に関するレポートを提出した。このパリ万博派遣の際、セーヴル窯を訪問したランドールは、セーヴル窯のために花瓶への絵付けを公式に行った。
 このような芸術的活動と社会的地位の向上により、コールポート窯内でのランドールの立場は特殊なものとなってゆき、1870年以降はフリーランスのアーティストとして、窯の経営に縛られない、自由な創作活動を行った。このような特権的待遇を得て、ランドールの芸風も変化を見せてゆく。
 「セーヴルズ・バード」という絵柄は、構図と描き方が極めて厳密で、絵付け師見習いとして窯に入った徒弟は、まずこの鳥絵のスタイルをみっちりと体に叩き込まれる。セーヴル窯では、高品質かつ均質の絵付けを、どの絵付け師にも等しく行わせるためであり、一方メードレイ工場では、セーヴル窯の真作と見紛うばかりの贋作を作らせるために行うトレーニングである。また万博の展示に耐えるリアルな野生の鳥絵は、写真以上の存在感と油絵以上の濃厚な力強さを兼ね備えた画風で描かれる。しかも現実的でなければならず、自然の生き物から離れてはならない。地位も名誉も得たランドールは、1870年以降はこのような厳しい絵付けの領分と描き方の決まり事から脱し、柔らかく涼しげで、大変リラックスしたスタイルを確立した。カップ&ソーサーなどの小さな画面でも、それをいっぱいに使って伸びやかに描かれたハチドリなどが、ランドールが晩年に好んだモティーフであった。しかも描き方と色使いは水彩画的になり、透明で軽快な印象は同時代の他の絵付け師からは得られないもので、その練達ぶりはまさに仙境にあると評されてしかるべきであろう。
 ランドールは、絵付け師がサインを入れることを滅多に認めたことがないコールポート窯で、前述の友人ウィリアム・クックとともにサインを許された、数少ないアーティストの一人である。このことからもランドールが、窯の職人ではなく「独立系絵付け師」として、特別扱いされていたということがわかる。
 長期にわたってコールポート窯に貢献してきたランドールも、1881年、勤続四十六年にして目を患い、視力の低下から絵付け師を引退した。後進の指導には当たっていたようである。
 1870年代以降、窯内で特別の地位を得たランドールは、在職中ながらも自著の出版を行っている。1877年発行の「セヴァーン河畔とセヴァーン渓谷の磁土産業」と、1880年発行の「メードレイの歴史」がそれである。
 また彼の最後のインタビュー記事(九十八歳)となったコナサー誌1908年十二月号「メードレイ・ポーセリン」には、彼の貴重なコメントが残されている。もちろん、年号の曖昧な所や記憶違いなどもあるが、最新のコールポート窯研究でも、ランドールの著作やインタビュー記事は、欠かせない資料になっている。例えばコールポート窯の発祥について、ジョン・ローズよりもウィリアム・レイノルズが先とした点など、彼の著作と発言は後世に甚大な影響を与え、論争を巻き起こした。
 ところで、ランドールの絵付け師引退後の1882年に、「セヴァーン河畔とセヴァーン渓谷の磁土産業」の第二版が発行された。その本の後書きの中に、著者ランドールからの広告が出ており、いわく「長年の労働と研究の結果による、石炭紀とシルリア紀の化石標本を、22ポンドで売ります」とある。晩年まで鉱物収集はやめなかったようだが、何より「石炭紀とシルリア紀」というマニアックな売り方が、ランドールの多才な一面を垣間見させてくれる。

 さて今回は、ジョン・ランドール初期の絵付けによる「セーヴルズ・バード」を紹介する。カップ、ソーサーともに沢山の鳥が舞っているが、これら極彩色の鳥たちは「エキゾティック・バード(南国風の想像上の鳥)」で、セーヴル窯の前身であるヴァサンヌ窯の時代から描かれていたモティーフである(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.17上参照)。カップとソーサーにはそれぞれメインとなる二羽の鳥絵が、地面や立ち木を含めて描かれている。飛んでいる鳥が枝を銜えているところなども、ヴァンサンヌ=セーヴルの様式に倣っている。
 素磁には極めて高品質のボーンチャイナが用いられ、よく輝く滑らかな釉薬が施されているため、磁質は高級感に溢れている。カップ、ソーサーともにセーヴル窯の「ゴブレ・エベール、スクプ・エベール」型をそっくりに模した形状をしている。カップには二本のハンドルが捻じれた「エンツウィンド・ハンドル」が付き、ソーサーは緩い五本の稜線を持つ輪花型の造形である。このデザインの呼称は、パリ最大の磁器商人の一人であったトマス・ヨアヒム・エベール(名前からするとドイツ系)にちなんで名付けられた。
 ソーサー裏の高台脇には、セーヴルなどフリット軟質磁器の特徴である吊し焼きの跡穴が模造されている。もちろんこのソーサーは吊し焼きで作られているわけではないので、これはセーヴル窯のスタイルを真似たしつらえということができる。
 「アンティーク・カップ&ソウサー」p.114、115に、ジョン・ランドール画、ゴブレ・エベール型のカップ&ソーサーが掲載されているので、ご参照いただきたい。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1815〜20年
ティー・カップ:H=49mm、D=90mm/ソーサー:D=146mm
 この作品は、ジョン・ローズ期のコールポートの白磁を使い、窯外の絵付け工房か、あるいはコールポート窯の敷地内にいても、窯所属の職人ではない独立系絵付師によって色絵が施されたものである。しかし工房名・絵付師名はわかっていない。
 白磁はグレーがかったハイブリッド・ハードペースト(擬似硬質磁器)で、口縁がラッパ型に開いたフレアタイプのロンドン・シェイプに、ロンドン・ハンドルが取りつけられている。この独特なロンドン・シェイプは、コールポートの工場ではかなり量産されたもので、さほど珍しい形状とはいえない。
 カップとソーサーには白抜きでピンク色が塗られているが、これはもともと濃い色を薄くのばして塗っているため、刷毛の具合で顔料が重なると色が濃くなり、部分的にムラが出ている。金彩は非常に堅実な出来映えで、全ての金彩文様は手描きであるが、機械的な正確さで仕上げられている。
 カップの風景画で印象的なのは、子渡しの風景である。つばの広い帽子を被った父親がズボンの裾を膝までまくり上げ、危険な早瀬の滝の上を水色の上着の子供を背負って、飛び石を頼りに対岸へ進んでいる。向こう岸には先に渡し終わった彼のもう一人の子供が、安全な場所に立ち、大きく手を広げて父親を招き、励ましている。画面には丸屋根の建物や民家、遠景にはゴシック風の教会と思われる尖塔が遥かに描かれているが、ほのぼのとした親子の情景を活写した絵付師のセンスこそが、このカップを鑑賞するツボである。
 もう一点のカップには、川の流れが小さな滝となって早まる場所に釣り糸を垂れる人物と、棟が連なった大きく立派な民家が描かれている。山の斜面が眼前に迫っているところから、渓谷や上流に近い場所の風景と思われる。
 一方ソーサーには段差状になった川の滝の手前にかかるアーチ橋と、中景に館、遠景に山岳が描かれている。もう一枚のソーサーには、釣り竿を持ち帽子を被った二人の人物と、帆を張った小舟や館、彼方の丘には城塞らしき建造物がぼんやりと描かれている。
 食器上の風景画の要素としては、山、川、橋、城、教会、館、人物、船、飛ぶ鳥、牛、馬、羊、鹿、犬、立ち木、雲、岩があり、これらの組み合わせによって画面が構成されてゆくが、材料の選び方、配置によって、遠近感・立体感が表現できる。さらに季節感、空気感、温度、音、風、そして感情、感傷、感慨までを絵の中に盛り込めるようになると、窯の一職人の身分を離れて独立し、自らの表現世界の評価によって作品が売れてゆくアーティスト職人になれるのである。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1810〜15年
ティー・カップ:H=61mm、D=91mm/ソーサー:D=144mm
 この作品に見られる絵柄は、豪華で緻密な金彩と独特の幾何学文様から、過去にはロンドンの独立系絵付け師トーマス・バクスター工房の作品とされた時代もあったが、今日では一応ジョン・ローズ・コールポートの窯内絵付け作品としてよいと考えられている。このデザインはジョン・ローズのライヴァル企業であったトーマス・ローズ・コールポート(アンスティス、ホートン&ローズ)でも類似品(模造品)が作られている。
 本品ではカップ外側のダイヤモンド型の意匠が、内側の白抜き円内のデザインと統一され、八稜の星形をずらして二枚重ねた十六稜の図柄が用いられている。本品と酷似した作例では、円内の文様は先端が丸みを帯びた十六弁の菊花型となり、本品で赤ボーダーに黄色ハート連文となっているバンドが、赤ボーダーに黄色唐草文となる(ジョン・ローズでパターンNo.319、トーマス・ローズでパターンNo.696)。
 このような金彩主体で幾何学文様の「トランプの絵札のような」作品は、リージェンシー時代(後の国王ジョージ四世の摂政期。1811〜20)のロンドンで流行していたもので、様式はネオ・クラシックの一分類にあたる。ロンドンに集まった絵付け専門工房では、このような風情の作品を国内で販売すると共に、装飾の趣味・絵柄の嗜好が合致する大陸にも輸出していた。当時のコールポートやダヴェンポートのネオ・クラシック風の磁器は、フランスやドイツで見出されることも少なくない。
 シェイプはカップもソーサーもロンドン型である。実はソーサーの形状にもロンドン、ビュート、エトラスカン、エンパイアなどといった厳密な区別がある。ロンドン・シェイプは、当時の「ネオ・クラシック様式=アンピール(エンパイア)様式=リージェンシー様式」というカテゴリーの中では、よりギリシアの古典様式に近いものと位置付けられ、「グレシアン(ギリシア風の)・シェイプ」とも呼ばれていた。
 ロンドン・シェイプのデザインについて、筆者が「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」の中で「カップの底に近づくにつれ、ある部分から急角度で絞り込まれる形」と書いたところ、我が国ではすっかりこの表現が定着し、市民権を得てしまっている。この場合、ハンドルはシェイプ名に影響を及ぼさない。どんな形のハンドルが付いても、本品のような形状のカップ本体を持つ作品は、「ロンドン型」と呼ぶ。ちなみにこの作品に付けられているハンドルは最も一般的なもので、名称を「ロンドン(グレシアン)・ハンドル」という。
 素磁はグレーがかったハイブリッド・ハード・ペースト(擬似硬質磁器)である。
 「ヨーロッパ・アンティーク・カップ銘鑑」p.50、「アンティーク・カップ&ソウサー」p.236参照。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1815〜1825年
ティー・カップ:H=56mm、D=91mm/ソーサー:D=147mm
 この作品はジョン・ローズ&Co.のコールポート製品によく見られる、集合描きの不統一な多種の花尽くし(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.70参照)で各パネルが彩られ、紺地白抜きの花の装飾はエンボスに金彩仕上げのレリーフ状になっている。シェイプ名もここに由来して「ニュー・エンボスト・シェイプ」と呼ばれる。
 ジョン・ローズ&Co.では、ナポレオン失脚後のフランスで、工芸デザインの主流として返り咲いた第二ロココ装飾を敏感に取り入れ、当時パリ製磁器を多く買い入れていたロンドンの絵付け工房への販路拡大を狙って、ロココ・リヴァイヴァルの造形で新しいデザインの製品を作った。本品のようなレリーフ入りの食器は、コールポートが特に力を入れて製造していた分野である。
 ただしソーサーを見ればわかるとうり、この造形はマイセン窯の「ゴッツコウスキーのシェイプ」をコピーしたもので、稜線の作り方もマイセン窯と共通のスタイルをしている。ハンドルの形状も同様にマイセン窯の写しと考えられる(→マイセンのページ参照)。
 本品にはアンギュラー(三角)・ハンドルが取り付けられているが、同じ企画のシリーズのカップで、口縁より高い位置からマイセン窯のJシェイプ・ハンドルに似たアンギュラー・ハンドルを取り付けたものもある。コールポートでは前者(本品)を「ヘアピン・ハンドル」、後者を「ウィッシュボーン・ハンドル」と呼んでいる。
 この絵柄のパターン・ナンバーは988番であるが、二通りの異なる装飾のカップ&ソーサーを掲載した。パターン・ナンバーというのは基本的には色絵部分を指すもので、金彩の文様までは支配を及ぼさない。比べてみれば判るように、カップ内側口縁の金彩文様に相違がある。色絵紺地の下のカップ高台に近い部分に描かれた金彩装飾にも相違がある。また一方はカップ見込みとソーサー中央に花絵があるが、もう一方の同じ部分には金彩による放射文様が付けられている。
 このような部分的なデザインの違いはカスタム・メイドによるもので、デザイン帳や見本品によるパターン・オーダーが可能だったことを示している。コールポートのカスタム部分は口縁ボーダーの文様、白抜きパネルの中部分(花絵に添えて鳥なども描いてくれた)、見込み絵部分であり、それらの違いを含めて全体の雰囲気の緩い縛りの基調をパターン・ナンバーとしていた。したがってここでは「紺地の決まった形とパネル内に花絵を描き入れた白抜きエンボス付きのカップ&ソーサー」というのが988番の概念となる。このように絵柄が言葉で表現されている窯の資料しかない場合は、それを読んでも一体どんな作品なのかがわからなくなってしまっている場合もある。
 このデザインの食器はほとんどの場合染付の紺地で作られたが、稀にワインレッドの地色による作例も残っている。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1800〜1815年
コーヒー・キャン:H=66mm、D=70mm/ソーサー:D=134mm
 これは「$パターン」と通称される名高い図柄である。竹を中心とする有田磁器のコピー柄で、ジョン・ローズ&Co.のコールポート以外の窯でも盛んに製造された。竹にからむ図文様が「$」の形を連想させるというのがパターン名の由来である。図柄には枝垂れ桜を補助に用いたものと、梅の花を用いたものの二種類がある。カップのハンドルを右向きに置くと枝垂れ桜が、左に置くと梅の柄が見える。
 赤地の部分には中国由来の有職文様風唐花が描かれている。素地はグレーがかったハイブリッド・ハードペーストで、大変鮮やかな発色の艶のある顔料が使用されている。
 このキャン&ソーサーにはビュート・シェイプのティー・カップが付属している。
 





コールポート、ジョン・ローズ&Co.
1815〜25年
ティーカップ:H=46mm、D=96mm/ソーサー:D=151mm
 コールポートやダヴェンポートで盛んに製造された「五連輪繋ぎ文様」を金彩ボーダーに使った作品である。本品には一般的な花絵がカラフルに描かれている。
 シェイプはアンギュラー(三角)ハンドル付きのエトラスカン・シェイプで、このシェイプに付属するソーサーは、プレートに近い平板な造形と、斜めに立ち上がる縁を持つのが各社にほぼ共通の形式である(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.57、52番参照)。
 


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