景徳鎮
1790年頃
コーヒー・キャン:H=62mm、D=63mm/ソーサー:D=142mm
 18世紀のイギリスでは、清朝時代の中国から大量の磁器を輸入していたが、その経路は単純であった。清朝は事実上の鎖国政策のため、イギリス向けの開港地を広東・広州湾に限定していた。清朝政府が対英貿易の利権を与えたのは「広東十三行」と呼ばれる豪商達で、彼らの多くは徽州(現・安徽省)の出身であった。イギリス東インド会社は広東に商館を建て、徽州商人との貿易交渉にあたった。
 これらの徽州商人が遥か南方の広東に集まり、対英貿易を独占した理由には、茶との深い関わりがある。
 徽州(安徽省)は茶葉の大産地で、「トンロク」と呼ばれた屯緑茶、武夷山一帯で栽培され「ボヒー」と呼ばれた武夷茶、上質で「シンロ」と呼ばれた松蘿茶などを、一旦集積地である屯渓(茶務都会)に集め、川を遡って広東へ輸送した。イギリス東インド会社が購入した緑茶・紅茶は、そのほとんどが徽州産である上記の銘柄で、これらを扱うのは当然徽州商人だったため、彼らが「広東十三行」として貿易の仲介を一手に引き受けることとなったのである(十三人いたわけではない)。18世紀にはインドのダージリン茶やアッサム茶、スリランカのセイロン茶、中国の祁門(キーマン)茶などは全く作られておらず、台湾の対岸にある福州(現・福建省。崇安県星村で正山小種紅茶=ラプサンスーチョンを生産)が最高級茶葉の産地として有名になるのは、19世紀になって以後のことである。
 茶葉と共に輸送された中国製磁器は、船の安定を保つバラスト代わりとして茶箱の隙間に積み込まれた、という説があったが、今日ではその信憑性が疑われる。イギリス東インド会社では通常四隻の船団を組み、茶葉の他に絹や金属製品、磁器などを各船に分けて積み込んで輸送したと考えられる。こうしたイギリス向けの磁器需要を満たしたのが、「景徳鎮」という焼き物産地にあった民窯である。
 景徳鎮は近くに良質の磁土を産する高嶺山を控える磁器の大産地である。珪素を多く含んだ白い粘土で、磁器の主成分である「カオリン」は、「高嶺山」の中国読み発音を「カオリンシャン」と聞き取って付けられた名称である。景徳鎮には皇帝・宮廷への献上品を製造する「官窯」と、その他に多くの「民窯」が集まっていた。イギリス東インド会社が広東で買い付けた磁器は、このような景徳鎮の民窯が焼いたものだった。中国の民窯はイギリスでの窯業設立とは違い、議会による許認可の議事録もなく、会社登記簿もなく、納税記録も裁判記録も商標・意匠登録もない。窯印もなく、職人はおろか経営者の名前さえもわからない。したがって、ただ「景徳鎮地方の民窯」と表現するより方法がない。
 イギリス東インド会社と同様に、オランダ東インド会社も景徳鎮民窯の製品を大量に買い付けており、イギリス向けには英国本島東岸に位置するロウストフト港とヤーマス港に中国磁器を運び、荷揚げしていた。しかしこうした中国磁器貿易も、1785〜95年にかけて急速に衰退することになる。中国茶葉の輸入量が年々増加してゆく一方で、中国製磁器のデザインは人気がなくなり、1790年代後半には、イギリス東インド会社は景徳鎮磁器の輸入をほとんどやめてしまった。本品はこのような景徳鎮磁器輸入の末期に作られた製品である。
 このカップ(キャン、カンともいう)には、特徴的なハンドルが取り付けられている。葡萄の蔓茎と葉を模した、交差する板状のハンドルを持つ一連の製品を作ったこの民窯を、仮に「景徳鎮Aファクトリー」とする。このAファクトリーでは、本品のような形状のハンドルを付けた食器を大量に製造し、イギリス向けに出荷していた。ティー・ポットやコーヒー・ポット、タンカードなど、大きくて重たい作例にもこのデザインのハンドルが用いられている。「タンカード」とはマグの大きなもので、我々日本人には「ビア・マグ」と呼ぶ方がわかりやすいだろう。イギリス人はこのタンカードでビールのほか、エール類や「ミード」と呼ばれるワインの一種を日常的に飲んでいた。このような日用食器を作っていたのが景徳鎮Aファクトリーであるが、ハンドルは本品より上端部が斜めに吊り上がった形状で仕上げられているものが多い。また本品では葡萄の葉の上に、実を表す点々が青色のエナメルで施されているが、Aファクトリーの作品の多くはピンク色を主体とする絵付けなので、こうした点文もピンク色で描かれていることが多い。
 ここに見られる交差した板状のハンドルは、イギリスではウェッジウッド窯製のクリーム・ウエアなどで18世紀には製造されているし、大陸ではマイセン窯から初期ベルリン窯、フュルステンベルク窯を経てコペンハーゲン窯に至る経路で、各地の窯場に伝わったと考えられる。景徳鎮ではヨーロッパからの注文をもとにデザインをしており、イギリス東インド会社の船には通訳を兼ねた中国人が乗船し、イギリス側が発注する磁器形状や布地のデザインを、広東十三行などを仲介して製造元に伝えていた。
 このようなデザインの注文は絵柄にも反映される。中国磁器本来の図柄が不人気となったため、18世紀後半には西洋的図柄を描いた作品が増えてゆく。本品のカップにある紋章(ソーサーには紋章なし)は、勲章の枠飾りのような八稜星の中に、西洋由来のモティーフが描かれており、極めてヨーロッパ的なデザインになっている。これは中国人が発想したものではなく、ヨーロッパから下絵をもらって描いたものである。
 二色に色分けされた縞模様のレジメンタル・タイ(ネクタイ)のような棒状の台の上に、鷲や鹿、象やライオンなど様々なシンボルが描かれる形式を「紋章図(アーモリアル、あるいはクレスト)」と呼んでいる。これは各貴族の家を象徴する図柄を注文によって描くのが通例であるが、本品の場合は広く一般に販売する目的で、誰にでも受け入れやすい吉祥文様を描いたものと考えられる。この図柄は「コルヌコピア」といい、巻き貝のように見えるのは山羊の角で、中から花や果物がこぼれ落ちる有様を描いている。意味は「豊饒」で、おめでたいモティーフである。
 磁胎は灰青色がかった硬質磁器製である。
 

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