チェルシー
1745〜50年
ボウル:H=47mm、D=52mm
 本品はフランス人でユグノー教徒のニコラ・スプリモン(英名ニコラス・スプリモント)が、1745年頃ロンドンのチェルシー地区に建設した窯で製作された。若草色に透ける磁胎は白玉ガラス(フリット)を含んだ軟質磁器で、スポット状に気泡の混入が見受けられる。
 形状・絵柄ともに中国や日本の磁器製品の姿を写し取ったもので、八角形のボウルには朱色に白抜きで蛸唐草文様と金彩の唐花、立花文、巻物(経巻)の図柄が描かれている。このような様式の磁器食器は、チェルシー以外にザクセンのマイセン窯やフランスのシャンティーイ窯でも製作されている。
 ボウル見込みには朱の花びらに金の花芯の唐花に、緑の五葉を配したデザインがあしらわれている。
 





チェルシー
1756〜69年 金彩で錨の窯印
コードルもしくはチョコレート・カップ:H=84mm、D=90mm/トランブルーズ:157mm
 本品は「アンティーク・カップ&ソウサー」p.3掲載品と同一であるが、書籍では本文 内容との兼ね合いからくるデザイン上、カップのみの写真が採用されたため、全体を見たいという要望にお応えして、トランブルーズ(スタンド)も公開する。
 チェルシー窯の極めて優れた色絵着彩技術がいかんなく発揮された作品で、全体はセーヴル窯のコピーで統一されている。セーヴル窯の「ブリュ・テュルクワーズ(トルコの青)」を模した地色に、「ウーイ・ド・ペルドリ(イワシャコ=山ウズラの目)」という鳥の目を模したセーヴル由来の地文様を手描きし、白抜きに開けたパネルには、濃厚でリアルな存在感を持ちながら、イラスト的な性質も備えた独特の薔薇絵が、細密に描かれている。陰の付け方やグラデーションの取り方、うねるような描線、ハイライトの技術などを見ても、18世紀の英国製品とは一線を画す、チェルシー窯の芸術的水準の高さがうかがえる。
 なお「トルコの青」は「ブリュ・セレスト(空の青)」と混同・誤解されている場合がある。筆者も「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」の中で、「空の青」を「トルコ石ブルー」と誤記してしまっている。p.104、105、89のミントンや、p.75のセーヴルの作品はいずれも「空の青」であり、「トルコの青」ではない。「トルコの青」はどちらかといえばマイセンの「海の青」(同銘鑑p.23)に近い、くすんだ色味である。
 また、バケット型のカップの形状と、落とし込みを作ったスタンドも、セーヴル窯で最初にデザインされている(「アンティーク・カップ銘鑑」p.184に後世のセーヴル作品) 。このようにカップを固定できる機能を持ったスタンドを「トランブルーズ」といい、直訳すれば「震え」だが、「揺れ止め」という意味である。こうした機能が発生した由来については主に三説があり、蓋などをして重心が高くなるチョコレート・カップ等の転倒防止用説、飲む人がベッドの上で使用する習慣があったための安定機能説、メイドが主人の部屋まで階段などを含めて長距離を移動して運搬する際の安定機能説である。いずれも転倒の防止という点で一致している。なお落とし込み式でない篭形式トランブルーズについては本ホームページのウィーン窯のページで、防波堤状の隆起式のものについてはサン・クルー窯のページで公開中である。
 ところでチェルシー窯の帰属性についてまとめておこう。
 チェルシー窯は1769年8月にジェームズ・コックスに売却され、コックスはこれをウィリアム・デュズベリ(とジョン・ヒース)に転売したが、契約上の調整のために6か月後の入金までチェルシー窯を保持する形となった。したがってデュズベリの手に権利が渡ったのは1770年2月である。このプロセスの間に年が変わったので、従来の「1年後」説が生まれてしまった。しかし月を調べれば半年である。
 この売却の時にチェルシーが持っていた技術と製品内容がテーブルウエアのみだったとする説は、五十年以上前から有力である。現在ではチェルシーの磁器製人形類とダービーの人形の大半は同じである(ダービー製)と考えられている。デュズベリは買収以前からダービー製人形類にチェルシーの窯印を書き入れて売り、チェルシー窯の経営に深く関与していたとされる。これを補完する事実として、「ダービーとチェルシー磁器の工場経営者、デュズベリ&Co.」というデュズベリの名刺が発見されるに至り、彼がダービーとチ ェルシー両社の経営者を名乗っていたことがわかった。
 したがってチェルシーの窯印入り磁器は全てチェルシー工場で作られたものではなく、同じくダービーの窯印入り磁器も全てがダービー工場で作られたものではないという結論が導かれる。これは合併後のチェルシー=ダービーになっても同じである。
 原型の交換は言うまでもなく、職人や磁土までもの交換があった。事実、ダービーの土にチェルシーの加飾があった場合、それをどちらの窯の製品とするかは決められないし、判断基準も設けられていない。今後は1760年代のチェルシーや、1784年に閉窯するまでのチェルシー=ダービー製品については、「チェルシー・クラスのダービー」「ダービー・クラスのチェルシー」という書き方が海外では一般化することになると思われる。帰属性を決められる学者は極めて少数だし、両者混合で製品化されたものも多いからである。
 一応のめやすとしては、チェルシーのゴールド・アンカー(金の錨の窯印、1756〜69年。本品など)入りのものはチェルシー工場製、王冠と錨の窯印入りのものはダービー製、錨とDの組み合わせの窯印入りものは、従来は両窯の共同製作品(原型、土、図柄、職人の交換)とされていたが、今日この窯印入り製品の多くはダービーで成型・加飾・焼成されたとみられている。しかしこれはあくまでも「めやす」であって、確定した基準ではない。
 なおこれらより古いレッド・アンカー(赤の錨の窯印、1752〜56年)時代のチェルシー製品については「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.19に掲載してあるので御参照いただきたい。ただし書籍掲載のこの作品も、ダービー製白磁にロンドンの絵付け工房加飾の可能性がある。
 

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