ブラウン−ウエストヘッド、ムーア&Co.
1870〜80年
ティー・カップ:H=47mm、D=89mm/ソーサー:D=141mm
 ハンレイのコウルドン・プレイスで1803年以来操業を続けていたリッジウェイ社は、1858年にジョン・リッジウェイが引退すると株主が代わり、ベイツ、ブラウン−ウエストヘッド、ムーアの共同経営となった。1861年には筆頭株主のベイツが去り、残ったブラウン−ウエストヘッドとムーアが窯を経営した。
 この体制下で同社は、北アメリカ市場を強く意識した作品へと窯のデザインを大きく変更した。リッジウェイ以来の伝統的形状や文様は捨て去られ、磁器は極端に薄くなり、絵柄は強い地色や豪華な金・プラチナ彩の盛り上げを多用し、アメリカ好みのゴージャスな作品へと切り替えられた。また1870年代以降、欧米で人気となっていたジャポニスムのデザインを積極的に取り入れ、日本の工芸品から着想を得た図柄を製作した。
 この経営戦略は時代の要求に的中し、窯はアメリカ向け輸出品を中心に隆盛を極めた。アーティストの雇用にも積極的で、ロイヤル・ウースター窯からトーマス・ジョン・ボット、ミントン窯からアントニン・ブルミエを招聘するなどし、多彩な高級品を送り出していった。アメリカでもブラウン−ウエストヘッド、ムーア社の作品の需要は高級品ほど高く、ニューヨークのティファニーとギルマン・コラモア、デイヴィス・コラモアなどの高級雑貨商をはじめとし、ベイリー、バンクス&ビドルやカルドウェルなどといった宝石商からの注文製作を依頼された。
 本品もアメリカ趣味が横溢した作品で、明るいピンク地にギリシア風の古典的波文の金彩ボーダー、梅鉢形の盛り金ドットに白エナメル盛り上げの一点ドットがあしらわれ、ソーサーの井戸部分に山と湖の小さな風景画が描かれている。カップを持ち上げると絵が見えるという意匠は、ティータイムの楽しみを増すものとして好まれた。
 同社はしばらく後に、19世紀前半のティーウエアの形状の魅力を再認識し、オールドイングリッシュ・ハンドル付きフルートのシェイプ(1835年頃のリッジウェイ社で看板商品だった)や、トリプル・アーチト・ハンドル(1830年頃のリッジウェイ社で盛んに製作された)のカップなどを、19世紀末〜20世紀にかけて復活生産している。
 ブラウン−ウエストヘッド、ムーア&Co. は、1905年以降「コウルドン」に社名を変更した。
 

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